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◯ 論考:遺伝子 vs 物理学

 

◯ エピジェネティック・マークの世代間伝承はあるか?

 

◯ 表現型主導の進化モデル

 

◯ 天然変性タンパク質とは何か?

 

◯ 科学の正体

 

蛋白質の配列空間と島モデル   

 

蛋白質立体構造の二次元マップ表示  

 

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論考:遺伝子 vs 物理学

はじめに

 科学史を高い視点から俯瞰してみると、物理学と生物学は、20世紀の半ばまではほとんど何の目立った関係性をもたず、両者はほぼ「没交渉の関係」だったように見える。ところが、もう少し眼鏡の倍率を上げてよく見ると、1930年代に入ると、物理の側から生物に関心を持ち、物理学から生物学に転向する若い研究者が、ぽつぽつと現れるのが見えるようになる。この流れは時とともに勢いを増し、1940年代には物理学は生物学に急接近した。そして、生命現象の基底部に存在する遺伝子に狙いを定め、ついにはパクリと口を広げ、遺伝子を丸呑みにしてしまった。このような両者の邂逅(出会い)と衝突は、シュテファン・ツヴァイク流に言えば、科学史上の「星の時間」ともいうべき出来事であり、邂逅した両者が互いに異質であればあるほど「その星」は輝きを増す。両者の巡り逢いは新しい概念(遺伝情報)を生み、2つの新しい学問分野(生物物理学と分子生物学)の創出を促した。

 しかし、すべてが順調にいったわけではなく、物理はいったん呑み込んだ遺伝子を吐き出してしまう。いったい何が起きたのか? 生物学と物理学の歴史的経緯をたどり、順を追って述べてみたい。

 

20世紀初頭の遺伝学

・再発見されたメンデルの「遺伝の法則」

 グレゴール・メンデルによって発見された、いわゆる「メンデルの遺伝法則」は、論文「雑種植物の研究」として1865年に発表された。メンデルは異なる性質(形質)をもつエンドウマメを交配し、その第1世代、第2世代が、どのような形質を示すかを観察した。その結果は誰も予想しなかった意外なものだった。子の世代である第1世代では、すべての個体が片方の親(優性)の形質を示し、さらに第1世代どうしを交配させた第2世代では、最初の世代(第0世代)の2種類の形質(優性と劣性)が3対1の割合(簡単な整数比)で現れたのである。

 このように、親の形質が子孫たちには簡単な整数比で現れるという結果は、粒子状の遺伝因子を仮定すると容易に理解できるが、それまでの「両親の血が混ざり合って子に伝わる(混合遺伝説)」という、伝統的で素朴な遺伝の概念とは相反するものだった。しかし、メンデルの研究成果はチャールズ・ダーウィンをはじめとする同時代の学者の目に触れることもなく、やっと19世紀の最後の年(1900年)になって、3人の生物学者により同時に再発見されることになった。

 20世紀に入ると、メンデルの「粒子状の因子」は「遺伝子」と呼ばれるようになり、放射線照射によって生じる突然変異は、遺伝子が損傷を受けて異常になることが原因であると理解されるようになった。

 

・遺伝学の成立

 実験遺伝学の手法を開発して、遺伝子の実体に迫ろうとする研究の先頭に立ったのは、米国コロンビア大学のトーマス・ハント・モーガンである。ショウジョウバエをつかって実験していたモーガンは、1910年に、通常は赤い眼をしたハエの集団のなかに、ときおり混じる白眼の変異体を発見した。白眼の変異は雄のハエにしか現れないことから、原因遺伝子はハエの性染色体(X染色体)上にあることが推定できた(伴性遺伝)。この発見を皮切りに、他のタイプの変異体もつぎつぎと見出され、そのうちのいくつかは同様にX染色体上にマップされた。

 モーガンは変異体の原因遺伝子を解析するうちに、相同な染色体の間で一部が入れ替わることにより、遺伝子組み換えが起こることを見出した。組み換えの度合いは、染色体上の遺伝子間の距離に従うこともわかった。これにより、染色体上の遺伝子地図を描くことに成功した。次々に発表される研究成果とともにモーガンの名声も上がり、「ハエの部屋」と呼ばれた彼の研究室には、若くて優秀な研究員が集まり、研究はますます加速した。こうして1930年代にはモーガン学派によって、「ネックレスの糸に通された真珠玉のように染色体上に並んだ遺伝子」という遺伝子像が語られるようになった。

 こうしたモーガン学派の活躍によって、遺伝学は生物学のなかでもっとも先進的な研究分野となった。他の生物学の分野、たとえば発生学は20世紀を迎えても、いわゆる「前成説」か「後成説」の議論を戦わすなど、まだ前近代的な状態だった。なお染色体上に並ぶ遺伝子の存在を明らかにして、一見近代化に成功したように見える遺伝学にしても、遺伝子の化学的実体(タンパク質か核酸かという問題)の解明には無力だった。ワトソン=クリックによって、この問題に決着が付けられるまでには、さらに20年を要した。

 

物理学の生物学への急接近

 20世紀の生物学と物理学の関係性を見たとき、第二次世界大戦を含む前後の時期(1930年代半ば~1950年代)は、物理学が生物学へと急接近した独特な時代であったといえると思う。そのような動きが、なぜ生じたかという事情は、もっぱら物理学の側にあったようだ。

 19世紀末の放射線の発見から始まった物理学の変革は、相対性理論量子力学を生み出し、1930年代までに現代物理学をほぼ完成させた。その後の発展は、1つは原子核からさらに原子核を構成する素粒子へと向かい、もう1つは、原子核の周囲をめぐる電子が主役を演じる原子どうしの化学結合や化学反応の原理を明らかにすることだった。こうして量子化学という新しい研究分野が生まれた。物理学は化学の基本原理を明らかにすることで、物理学の体系のなかに化学を取り込み、物理と化学は連続的で地続きの学問分野となった。この勢いのままに物理学は、次の目標としてごく自然に生物学に向かうことになった。

 

 ・シュレーディンガー

 その先頭に立ったのは、量子力学の完成に携わった第一級の物理学者たちであった。量子力学の生みの親の一人である、エルヴィン・シュレーディンガーは1944年に小冊子「生命とは何か」を出版した。生命現象の基本問題について一般向けに書かれたこの本は話題をよび、多くの人に読まれた。この本で有名になったフレーズとして、たとえば、「無機的な物質は時間とともにエントロピーが増大して風化する一方なのに対し、生き物は『負のエントロピーを食べる』ことによって秩序を維持している」がある。また、この本の中で遺伝を担う実体としての遺伝子は「無周期性結晶」(参考図書  p.4)だと予測された:

 

・・・染色体は、個体の将来の全パターンと個体が成熟したさいの機能とをある種の暗号文書の形で含んでいる。・・・染色体の糸状構造を暗号文書と呼ぶのはどういう意味かといえば、かつてラプラスが考え出したように、すべての因果関係をただちに見通すことのできる万能的な知性があったとしたら、染色体の構造を見ただけで、その卵が、しかるべき条件の下で発生すれば、黒い雄鶏になるか、斑入りの雌鶏になるか、ハエになるか、トウモロコシになるか、シャクナゲになるか、甲虫になるか、ネズミになるか、女性になるかが判る、という意味である。・・・しかし暗号文書という語は、もちろん狭すぎる。染色体の構造は、同時にそれが今後体験するはずの発展を、実現してゆく機能をもっているのである。染色体は、法律の綱領であると同時に事業遂行権力でもある —— 別の比喩を使えば、染色体は1にして、設計図と施工技術者とを兼ねているのだ。(参考図書 p.31)

 

ここで文中の「結晶」を「生体高分子」に替えて「無周期性の生体高分子」とすれば、後に明らかにされた「A, T, G, C という単位の非周期的な繋がりからなるDNA」に近いともいえる。これにより、ワトソン・クリックのDNA二重らせんモデルの発表よりおよそ10年も前に、染色体(DNA)に沿って無周期性のパターンとして記された「発生に関する暗号文書」(遺伝情報)が、ほぼ正しく予想されていたことがわかる。

 ただし、シュレーディンガーは別の箇所で「遺伝子の構造は(1000個程度の)比較的少数個の原子から成る」と言っているので、DNAというよりもタンパク質に近い高分子を想定していたように思われる。

 

 ・ボーアとデルブリュック

 一方、このシュレーディンガーの「生命とは何か」に先立って、量子力学コペンハーゲン学派を率いたニールス・ボーア量子論において現れる粒子性と波動性の矛盾に対して、「相補性」の概念を打ち出したことで有名)は、1932年に「光と生命」と題する講演を行い、物理学と生物学をむすぶ新しい学問の可能性を提唱した。そのとき聴衆の中にいたドイツの若い物理学者マックス・デルブリュックは、ボーアの講演から深い感銘を受け、理論物理学から生物学への転向を決意したと言われている。この時期に物理学から生物学への転向した人は少なくないが、なかでもデルブリュックは最大の成功者の一人だった(後にノーベル医学生理学賞を受賞)。

 米国に渡ったデルブリュックは、最初はショウジョウバエの遺伝学から研究を始めたが、だんだんとバクテリアやファージ(バクテリアに感染するウイルス)へと研究対象を移していった。量子力学が、原子の中でもっとも単純な水素原子に的を絞ることで成功したように、生物学においても、単純な生き物をモデル生物として研究を集中すべきだと考えたからである。1940年代に彼は、コールド・スプリングハーバー研究所にファージの遺伝研究を行う「ファージ・グループ」を立ち上げ、初期の分子生物学の発展に貢献した。ファージ・グループの活躍は、その後「遺伝子の本体はタンパク質か、核酸(DNA)か」という大きな問題の解決につながっていく。

 

 ・遺伝子の実体はタンパク質か、核酸

 最初の突破口を開いたのは、米国ロックフェラー研究所のオズワルド・エイブリーだった。肺炎双球菌にはマウスに肺炎を起こす病原性のS型と病原性を示さないR型という、2つのタイプがある。病原性のS型の細菌を熱処理して死滅させ、病原性のないR型の細菌と混ぜて、マウスに注射したところ、マウスの体内で病原性をもつS型の細菌が増殖することを見出した。これは熱処理によってS型細菌の細胞が壊れ、染色体の断片が放出され、病原性の形質を表すS遺伝子を含む断片がR型細菌の細胞内に入り込むことによって、R型細菌がS型に変化した(「形質転換」と呼ばれた)と解釈された。そして、エイブリーは1944年に「肺炎双球菌の形質転換を起こす原因物質はDNAである」と発表した。(しかし、じっさいにはエイブリーの論文はあまり話題にならなかった。形質転換にDNAが効いているとしても、タンパク質の役割が明確でなく、その役割が完全に否定されたわけではなかったから、と言われている。)

 もっと決定的な証拠は1952年に発表された、いわゆる「ハーシー=チェイスの実験」によってもたらされた。アルフレッド・ハーシーとマーサ・チェイスは、大腸菌に感染するT2ファージを実験に用いた。(ハーシーはデルブリュックと共にファージ・グループを立ち上げた仲間の一人である。)T2ファージは感染のさい、最初に大腸菌の表面に付着して細胞内に入り込み、細菌の菌体中で増殖して培地中に出現する。T2ファージはDNAとそれを包むタンパク質の殻でできている。そこでハーシーとチェイスは、当時の最先端の技術であった放射性同位体ラベル法をつかって、DNAとそれを覆うタンパク質を識別できるように標識をつけた。タンパク質には含まれるがDNAには含まれない硫黄原子を放射性同位体35Sで置き換え目印とし、DNAには含まれるがタンパク質には含まれないリン原子を32Pで置き換えた。これにより、ファージが大腸菌に感染するさい、タンパク質の殻は細胞表面に残したままDNA だけが菌体内に注入され、菌体内でファージが増殖することが確認された。増殖したファージからはリンの同位体だけが検出され、硫黄の同位体は検出されなかったからである。こうして遺伝物質はDNAであることが証明された。

 DNAが遺伝物質の本体であることが判明して以来、DNAの構造解明へと向かう動きが加速した。DNAの分子構造に関して、この時期に生化学者のエルヴィン・シャルガフによって重要な報告がなされた。それは、DNAを構成する4種類の塩基のうちアデニン(A)とチミン(T)の量は(DNAの種類によらず)常にほぼ等しく、同様にグアニン(G)とシトシン(C)の量も常にほぼ等しい、という発見だった。このシャルガフの経験則は、後にA=TとG=Cの塩基対の連なりからなる、DNAの二重らせん構造として実を結ぶことになる。(シャルガフはシュレーディンガーの「生命とは何か」(1944)を読んで大きな感銘を受け、直ちに自分の研究テーマを「DNAの化学的構成成分の解析」に切り替えて、すべての研究をそのテーマに集中させたという。そして、1950年に「シャルガフの経験則」を発表した。)

 こうして、DNA分子構造決定のお膳立ては整った。そして最後の決め手となったのは物理学的手法だった。

 

DNA二重らせん構造の発見

 イギリスでは、ブラッグ父子による「ブラッグの法則」の発見(1913年)以来、結晶にX線を当てその回折像から物質の構造を研究する、X線結晶解析の伝統がある。最初のうちは低分子化合物の結晶がサンプルとして用いられたが、1930年代の半ばになると、精製したタンパク質(ペプシン)が単結晶を形成することが知られるようになり、ロンドン大学のJ・D・バナール とドロシー・ホジキンはペプシンの結晶を用いてX線回折写真の撮影に成功した。

 しかし、X線回折像から得られるのは結晶の逆格子空間に関する情報であり、これを実空間の物質の姿に戻すには、フーリエ変換という理論計算が必要になる。この困難な問題に果敢に挑戦したのは、ケンブリッジ大学キャベンディッシュ研究所の若手研究者マックス・ペルーツだった。ペルーツがヘモグロビン結晶の回折像を得たのは1937年であり、最終的にヘモグロビンの立体構造の解明に成功したのは 1959年だった。1つのタンパク質の構造決定に20年余りを要したとして、ペルーツの研究は語り草になっているが、まだコンピュータも存在しなかった時代に、膨大な計算を要する解析に取り組んだことを考えると、大成功を収めたというべきだろう。(ペルーツが費やした20数年間には、第二次大戦でイギリスがドイツと戦った戦争の期間が含まれており、その間は基礎研究などとても継続できなかったようだ。また技術的な問題として、X線回折の「位相問題」を解決するために、新たに「重原子同型置換法」を考案する必要もあった。)

 第二次大戦が終わって、キャベンディッシュのペルーツの研究グループには数名の新しいメンバーが加わった。その中には英国海軍研究所での軍事研究の勤務から戻ってきたフランシス・クリックもいた。彼はもともと物理学科(修士)の出身だったが、生物学への転向を考えてペルーツの下に加わったという。そして、しばらくしてからそこへ若い生物学者のジェームズ・ワトソンがアメリカからやってきた。クリックはワトソンとウマが合った。二人はDNAの分子構造の研究に取り組み、DNAの二重らせん構造の発見にいたる。

 ただし、ワトソンとクリックはDNAの分子構造を実験的に決定したわけではない。すでに、モーリス・ウィルキンスらの行った繊維状DNAのX線回折の実験結果があり、それによってDNA に特徴的な(繊維軸方向の)周期的パターンを知ることができた。繊維軸に垂直な方向に関しては、先述のシャルガフによって発見された塩基対の規則性を満たす必要があった。これらの実験データと規則性に合致するような分子模型を組み立て、理論的計算によって実測値との一致が確かめられた。

 1953年にこの結果を得た二人は、すぐさまNature誌に論文を発表した。Nature論文の第1報は世紀の大発見として有名になったが、たった1ページあまりの短い論文だったという点でも話題になった。彼らの発表したDNA分子模型はすべての遺伝学者や生物学者から驚きをもって迎えられた。DNA のあまりに規則正しい構造と、その構造を見たとたんに誰にでも遺伝の仕組みが理解できるほどのわかりやすい姿をしていたからである。

 すなわち、その構造は上下の方向が逆向きに並んだ2本の相補的な鎖状のDNA分子からなる。この2本鎖の配置からDNAの複製(2倍化)の原理が容易に理解できる。らせん構造をなす2本鎖は「互いに相手の鋳型」となるような相補的な塩基配列をもっているので、らせん構造がいったんほどけて2本鎖が分離し、それぞれの1本鎖が鋳型となって相補鎖が合成されれば、DNAは2倍化され、元の二重らせん構造と同じものが2つでき上がる。

 ワトソンとクリックは、引き続き発表した2報目のNature論文において、DNAの塩基配列(4種類の塩基A, T, G, Cの配列順序)には何の制約もなく、任意の遺伝子の遺伝情報を塩基配列によってコード化することができる、と述べている。ここでは、この論文の中で一度だけ使われている「遺伝情報」という言葉に注目したい。おそらく、遺伝情報という語が活字として使われた史上初のケースだと思われるからである。(原文では、”It seems likely that the precise sequence of the bases is the code that carries the genetical information.” となっている。”genetical information” はその後、”genetic information” と言われるようになった。)このNature論文を契機として、分子生物学という学問分野が事実上のスタートを切ることになった(「分子生物学」という名称はすでにその前から、デルブリュックらのファージ・グループにおいて使われていた)が、遺伝情報 genetic information という語はもっともふさわしい場所で最初に使われたといえる。遺伝情報はその後、分子生物学の中心的な概念の1つになってゆくが、その一方で、その同じ遺伝情報という概念が物理学にとっての「つまずきの石」となった、と私は見ている。

 

遺伝情報につまずいた物理学

 20世紀の半ばに起きた物理学と生物学の歴史的な邂逅によって、遺伝子(DNA)の物質的構造が明らかにされた。カギとなった物理学的手段はX線結晶構造解析だったが、この方法はその後、タンパク質の立体構造を決定する唯一の方法として、種々のタンパク質の構造を解明していった(X線結晶構造解析にはコンピュータが必須であり、コンピュータの発達とともに徐々に普及した)。

 DNAとタンパク質はともに、生命活動を支えるもっとも重要な基本物質(生体高分子)である。物理が化学の基本原理を解明することによって、化学を物理体系のなかに吸収したように、DNAとタンパク質の分子構造が物理学的手段によって解明されたことによって、物理は生物学を自らの体系のなかに取り込むことに成功したといえるだろうか? あるいは、物理と生物のあいだの溝は取り除かれ、両者は連続的に繋がったといえるだろうか? そのように考える人も少なくないようだが、私はそうは思わない。

 生物学の視点からみると、DNAの分子構造よりもDNAの塩基配列という形で、DNAが担っている遺伝情報の方が重要であろう。物理学はDNAの分子構造とともに遺伝情報を自己の内に取り込もうとしたが、消化できなかった。それと対照的に、遺伝情報という概念を取り入れて大発展を遂げたのは分子生物学の方であった。(分子生物学は「分子レベルの生物学」を指し、あくまでも「生物学」の一種である。博物学から始まった生物学は観察と実験から得られた事実の記載に重点を置き、その反面として体系だった学問の構築を目指すという意欲はあまり感じられない。)

 以上を比喩的にまとめて言えば、物理学は生き物(生物)の急所をなす遺伝物質(DNA)に噛みつき、呑み込んだが、その次の瞬間にはそれを吐き出してしまった。なぜなら、遺伝情報、あるいはもっと一般的にいえば、「情報」という概念が物理学の中になかったからであり、それを受け入れる枠組みも物理学の体系の中になかったから、と言わざるをえないのである。

 

分子生物学の躍進

 すでに述べたように、ワトソン・クリックの二重らせん構造からは、DNA複製の機構がただちに予測された。しかしその一方で、DNAとタンパク質がどのような関係にあるのかに関しては、まだ何もわからなかった。DNAの塩基配列とタンパク質を構成するアミノ酸の配列が対応しているはずだと、いち早く問題点を整理して提案したのは、ソ連から米国に亡命していた理論物理学者のジョージ・ガモフだった。彼は4種類の塩基を20種類のアミノ酸と対応づけるためには3塩基の組(トリプレット)が必要であると指摘した。またDNAの配列はいったんRNAに移される(転写という)必要があることもわかってきた。ガモフの予測に基づいて実験が行われ、RNAのUUU(DNAのTTTに対応)がアミノ酸フェニルアラニンを指定するコドンであることが、生化学者のマーシャル・ニレンバーグによって実証された。こうしてDNAの遺伝暗号解読競争の幕が切って落とされた。次々とDNAのトリプレット・コドンとアミノ酸の対応関係が決定されていき、1966年までに3種類の停止コドンを含めて、64のすべてのトリプレット・コドンとアミノ酸との対応関係が明らかにされ、その結果を表にまとめたコドン表が発表された。

遺伝暗号の解読と並行して、DNAの遺伝情報がRNAに転写され、さらにRNA塩基配列アミノ酸配列へと翻訳されてタンパク質が合成されるという,一連の過程も解明されていった。この過程には何種類ものRNAが関与するので、最初のうちはかなりの混乱が生じた。まずDNAの情報が転写されるRNAメッセンジャーRNA(mRNA)と命名された。転写によって生成されたmRNAはタンパク質合成装置(RNAとタンパク質から構成される巨大粒子)のリボソームに移行し、リボソーム上で mRNAの塩基配列アミノ酸配列へと翻訳される。この翻訳過程には、mRNAのコドンとアミノ酸を直接対応づけるアダプター分子が必要になるだろう、と予言したのはクリックだった。その予言どおり、一端にアンチコドンを有し、他端にアミノ酸を結合した転移RNA(tRNA)が発見された。(20種類のアミノ酸に対応して20種類のtRNAがあり、それぞれのtRNAにアミノ酸を特異的に結合させるアミノアシルtRNA合成酵素が存在する。)こうしてDNA上にコードされた遺伝子が発現して、タンパク質が生合成される過程の全容が次第に解明されていった。この時期の一連の分子生物学研究の中心にいたのは常にクリックだった。彼は遺伝子発現の過程を、DNA → RNA → タンパク質という一方向の情報の流れとしてまとめ、「セントラル・ドグマ」と呼んだ。(なお、転写の逆の過程、つまりRNA → DNAという「逆転写」の存在が後に発見され、ドグマ(教義)の一端は崩れてしまった。しかしながら、タンパク質 → DNAという情報の流れは存在せず、不可能であることは現在でも正しい。)

 時代の流れはいつしか物理学者の活躍できる場面は少なくなり、試験管を振ってウェットな実験を行う分子生物学者の姿が目立つようになった。当時の状況は、後述の「その後のワトソンとクリックの姿」に象徴的に表わされている。

 

・日本の生物物理学と分子生物学

 ワトソン=クリックのDNA分子構造の発見からはじまった国際的な新しい生命科学の動向に、日本でもっとも敏感に反応したのは物理学者であった。第二次大戦後の1951年に日本語に翻訳されたシュレーディンガーの「生命とは何か」も彼らに大きな影響を与えたようだ。「若手の会」が組織され、生命現象の中に量子力学に匹敵するほどの新しい物理があるのではないか、さらに、生命を規定している新しい自然法則があるのではないか、という期待とともに「新しい物理」が合言葉となった。日本初のノーベル物理学賞を受賞した湯川秀樹京都大学教授)も、強力な「応援団」として「新しい物理」への流れを後押しした。

日本生物物理学会が正式に設立されたのは1962年である。この生物物理学会にはウェットな実験を行う分子生物学者も一緒に合流して出発した。後者のウェットな実験を行う人たちが目指したのはDNA像に基づく「新しい生物学」であり、けっして「新しい物理学」ではなかった。両者の違いは年とともに明らかとなった。分子生物学はDNA 構造の発見とともに始まり、遺伝子や遺伝情報を研究の中心に据え、DNAやタンパク質を主役とする、文字通り分子レベルの生命現象(生物学)を追求することを目指し、順調に発展した。日本の分子生物は生物物理から分離・独立して、1978年に日本分子生物学会が発足した。

最初の出足が早かった生物物理は、逸早く学会を組織し順調な出発にみえたが、「遺伝情報」に出会ってその取り扱いに困惑し、ついにはその受け入れに失敗したようである。自己増殖によって同じものがいくらでもコピー(複製)できるような現象は、それまでの物理学の研究対象にはなかった。ましてや、転写や翻訳に当たるものはない。

 

・生物物理学会自己批判

 遺伝情報の発現によって生じるタンパク質は、個性的で多様な構造と機能をもつことによって生命現象を支えている。タンパク質の立体構造(3次元)は、1次元のアミノ酸配列から「相転移」に似た過程を経て形成されるため、統計力学による理論解析が盛んに行われたが、得られた結果は遺伝情報を捨象した高分子としてのタンパク質一般の振る舞いであった。つまり、遺伝情報に基づいて作られる個性豊かなタンパク質は、物理学によって捉えることができなかった。生物学との接触から生まれた物理学の新分野である、複雑系の理論、非平衡統計熱力学、カオス理論などをみても事情は同じである。遺伝情報を取り込んだといえる「新しい物理」はどこにも見当たらないのである。

 生物物理学会は発足から40年後に、自らを問い直す「生物物理学とはなにか」という学会が自ら企画出版した撰書を出している。これは通常の学会では見られない異例のことと言わざるをえない。私の見るところ、物理学は生命現象の基底部にある遺伝情報の理解(取り扱いと消化・吸収)に失敗した。その点は、生物物理には体系的な教科書がない(書けない)という事実によって端的に示されていると思う。(対照的に分子生物学は、ワトソン著「遺伝子の分子生物学」など、何種類もの立派な教科書を生みだしている。)たしかに、生き物から抽出・精製したサンプルに対して、X線結晶構造解析法など高度な実験手法を用いた研究があり、あるいはまた、理論的研究やデータベース解析などもある。しかし生物物理は核となる中心部分を欠くため、統一的な学問体系を形成することができず、各論の集まりにしかならなかった、と言わざるをえないのである。

 

・物理学にはない情報という概念

 あらためて遺伝情報とは何かと問うてみると、明らかに生命の起源とともに生じたものであり、その意味で客観的な、つまり自然科学の対象となりうるものである。(現に分子生物学の研究対象となっている。)遺伝情報とは、突きつめて言えばDNA塩基の配列順序によって表現される情報であり、高分子化合物としてのDNAはその情報の媒体にあたる。DNAからRNAへの転写は情報媒体の変更を意味し、音楽をレコード盤からCDやDVDに録音するのと変わらない。DNA塩基配列の総体(ゲノム情報)は個々の生物の細胞核に保持されているが、ゲノム時代を経過した今日では、それと同等の情報がATGCの膨大な文字列の集積としてコンピュータの記憶媒体に格納されている、ともいえるのである。

 次にもっと一般化して、「情報」とは何かと問うてみると、情報のなかには遺伝情報にかぎらず、脳神経情報や人間のことば(自然言語)も含まれることがわかる。これらはすべて、人間がつくり出したものではなく、生物進化の時間軸に沿ってみるとあきらかに人間に先立って成立したものだと言える。(自然言語はもちろん人間の発明ではない。むしろ、自然言語が人類を生み出したというべきであろう。)自然言語の能力をもつ人間は文字をつくり、文明を生みだし、ついには情報処理機械としてのコンピュータを発明して、インターネット社会をもたらした。情報に満ちた現代社会では、情報の裏にそれを生み出し、操作し、発信する人間を想定しがちになるが、進化史からいえば順序が逆であり、人間より先に情報があったというべきである。

 生物の進化に即してみると、生命の起源とともに遺伝情報が現れ、動物の出現とともに脳神経情報が生じ、人類(ホモサピエンス)の登場とともに自然言語が現れた。これら3種類の情報はたがいに質的に異なる情報の形態を示し、いずれも進化史上の最大級のイベント ー 細胞性生物の起源、動物のカンブリア爆発、人類の起源 — に伴って生じた、という事実は注目すべきである。私は、遺伝情報、脳神経情報、自然言語を情報の3つの基本形態と呼ぶべきだ、と考えている。これらに匹敵するような基本的な情報形態は無生物の世界には見あたらない。したがって、情報は生物に特有のものであり、無生物世界を構成する物質・エネルギーという要素に加えて、生物世界を構成する基本的要素の1つと見るべきである(別言すれば、情報は物質・エネルギーに還元できない、それらとは別種の、客観的な世界の構成要素の1つといえる)。以上により、なぜ物理学が遺伝情報につまずき、それゆえ物理学が生物学の吸収と消化に失敗したのか、という理由がよく理解できるのである。

 

・その後の二人 — ワトソンとクリックのたどった対照的な足跡

 最後に、ふたたびワトソンとクリックに話を戻して、その後の二人の足跡を追ってみたい。ワトソンは米国に帰り、ハーバード大学教授、コールド・スプリング・ハーバー研究所所長を歴任した。その間1965年には教科書「ワトソン 遺伝子の分子生物学」初版を出版し、急速に進展する分子生物学の最新の研究内容を取り入れながら改定版を重ね、現在は第7版にまで及んでいる。そして、ゲノム時代の幕開けを迎えた20世紀末には、分子生物学界の大御所として国際的なヒトゲノム計画をリードし、21世紀の始まりと同時にヒトゲノムの全容解明を成功させた。

 これに対し、クリックのその後の経歴はワトソンとは対照的である。分子生物学の立ち上げの時期にはセントラル・ドグマの旗印をかかげ活躍したが、次第に彼の姿は目立たなくなる。一時はケンブリッジ大学遺伝学科の教授職へというオファーもあったようだが、それを辞退している。そして1976年には、南カルフォルニアのソーク研究所に移り、研究分野も大きく変えて「脳における意識」の探求に向かった。このクリックの大転身のなかに、遺伝情報を受け入れた分子生物学には自分の居場所がないことを悟り、遺伝情報とは無関係の未開拓の研究分野に、第二の大発見の可能性を賭けた、と見るのは深読みにすぎるだろうか。

 

参考図書

シュテファン・ツヴァイク人類の星の時間(訳:片山俊彦)みすず書房, 原書 1927.

E. シュレーディンガー「生命とは何か」(訳:岡小天、鎮目恭夫)岩波新書、原書 1944.

E. シャルガフ「ヘラクレイトスの火」(訳:村上陽一郎)岩波現代選書、1980.

渡辺政隆「DNAの謎に挑む」朝日選書、1998.

日本生物物理学会編「生物物理学とはなにか」共立出版、2003.

(とくに、本書第 2-4節 永山國昭著「新科学論」が本稿執筆の参考になった。)

 

西川 建 2024.01.31 脱稿   

 

エピジェネティック・マークの世代間伝承はあるか?

  1. はじめに 

今日の進化論のパラダイムをなすのは、およそ90年前に成立した進化の「現代総合説」(Modern Synthesis)である。現代総合説ではラマルク流の主張である「獲得形質の遺伝」は強く否定された。その否定の仕方は尋常ではなく、獲得形質の遺伝だけでなく、「獲得形質」という言葉までもが禁句(タブー)とされ、論文や生物学の教科書などではいっさい使われない時代が続いた。そのようなタブーの裏には、生物学界史上最大のスキャンダルといわれた事件 [1] が、ちょうど同じ時期に起きたことが大きな要因だったと思われる。

ところが、今世紀になって生物学の革新的な研究分野であるエピジェネティクスの登場とともに、これまでタブーとされてきた獲得形質の遺伝も、分子レベルでみると可能ではないか、として復活の機運が高まってきた。しかし一方では、そのような動きに疑問を呈する意見も見られる [2]。本稿では、親から子への獲得形質の伝承がはたして可能かどうか、具体的な事例に即して論じてみたい。

 

  1. エピゲノムとは

今世紀になって生物学は「エピジェネティクス」という新しい研究分野を生み出した。エピジェネティクスにおける中心的な概念は「エピゲノム」である。エピゲノムはその名前のとおり、ゲノムに匹敵する概念であり、クロマチン修飾によるゲノム規模の遺伝子発現制御の総体を意味する。エピゲノムは個体の発生と細胞分化に伴う概念でもある。

受精卵に始まる個体発生は、その進行につれて種々の組織や器官を生み出してゆく。それぞれの組織や器官は固有の細胞タイプをもつ細胞から構成されるが、それぞれの細胞タイプを分子レベルで特徴づけているのがエピゲノムにほかならない。体細胞は個体のどの部分をとっても同じDNA塩基配列からなるゲノム情報を有しているが、一方のエピゲノムは細胞タイプごとに異なり、この点でゲノムとは大きく相違する。また、ゲノムは個体の生涯を通して変化しないが、エピゲノムは環境からの影響(食餌や育ちを含む)を受けて変化する。そのわかりやすい例は、一卵性双生児において認められる。生まれたての一卵性双生児は見分けがつかないほどよく似ているが、成長するにつれて双子のあいだに違いが現れ、個性の違いも明らかになる。一卵性双生児のゲノムは同一なので、表現型の相違はエピゲノムの違いに起因することがわかる [3]。

分子生物学的にいうと、クロマチン(染色体)はヒストン複合体にDNAが巻きついた構造単位(ヌクレオソーム)の連なりからなるが、DNAまたはヒストンに化学修飾が導入されると、その領域のDNAにコードされた遺伝子の発現がオン/オフの制御を受ける。細胞におけるクロマチン修飾 —DNAメチル化とさまざまな種類のヒストン修飾— の全体がエピゲノムに相当する、といってよい。エピゲノムによって細胞内の遺伝子のオン/オフが決まり、それによって細胞の表現型が決まる。

エピジェネティクス以前は、遺伝子発現制御はもっぱら転写因子(タンパク質)のDNAへの結合と解離によると説明されていた。転写因子による遺伝子発現制御とクロマチン修飾によるエピジェネティックな制御には大きな違いがある。転写因子のDNAへの結合は弱い結合(非共有結合)であり、本来的に一過性の結合であるのに対し、クロマチン修飾は安定な共有結合化学結合)からなり、その形成には特異的な酵素タンパク質が必要である。(さらに、逆反応を行う酵素タンパク質も存在するので、クロマチン修飾は原理的に脱着可能である。)

クロマチン修飾が安定に維持されるもう1つの要因は、細胞分裂にともなって母細胞から娘細胞へとクロマチン修飾(エピゲノム)がコピーされて、引き継がれる機構(エピジェネティック・メモリーとよばれる)が存在することである。これによって個々の細胞のターンオーバーを超えて、同一の細胞タイプを個体の生涯にわたって維持することができる。換言すると、エピジェネティクスによってはじめて細胞分化の原理が理解できるようになった、といえる。エピジェネティクスの最大の功績がここにある。

 

  1. TGEIについて

本稿の主題はさらに先にある。上述のように、体細胞の有糸分裂によって母細胞のエピゲノムは娘細胞にコピーされて伝承されるが、同じことが(親から子への)世代間でも可能ではないか、という問題である。英語では、TransGenerational Epigenetic Inheritance(略して、TGEI)とよばれる。日本語にすると、本稿のタイトルに掲げた「エピジェネティック・マークの世代間伝承」となる。エピジェネティック・マーク(略して「エピマーク」)とは、すでに述べた「クロマチン修飾」を指すが、両者の違いは分子生物学/エピジェネティクスという、2つの研究分野における用語の違いである。

さて、TGEIの主張は簡単にいえば、冒頭で触れたラマルク流の「獲得形質の遺伝」の現代版にあたる。「個体が後天的に獲得した表現型が次世代に伝わる」、という文中の「表現型」を分子レベルのエピジェネティックな概念である、エピゲノムまたはエピマークで置き換えるとTGEIの主張になる。すなわち、(環境の影響を受けて)個体が後天的に新規のエピマークを獲得するとき、個体の表現型は変化する(表現型変異)が、ゲノムのDNA塩基配列は変化しない。親が獲得した新規のエピマークが、親の生殖細胞を介して子に伝わり、親と同じ表現型変異が子にも現れれば、TGEIが実現したことになる。

TGEIの主張は、意外に早くエピジェネティクスの草創期にすでに現れている[4]。その後Jablonkaによって多くの観察例が収集され、TGEI説として総合された[5,6]。エピジェネティクスは分子レベルの高度で複雑な生物学であり、理解するのは容易でないが、エピジェネティクスという学問にとって、かっこうの「客寄せパンダ」になっているのがTGEIに他ならない。一般向けのエピジェネティクスの解説書には、必ずといってよいほどTGEIに関する話題が取り上げられている [7]。しかしながら、TGEI はまだ科学的に実証された主張とはいえない。

 

  1. TGEIの素過程

TGEIが現実の生物世界で起きている「真」の現象であることを示すためには、親から子へ、子から孫へと複数の世代に及ぶTGEIの現象を、単位となる「素過程」に分割して検討するのが有効だろうと考える。TGEIの素過程として考えられる、エピマークの移行過程を書き出してみたのが表1である。

表1に示した7つの素過程のうち、最初の3つ(a〜c)はエピマークの移行というよりも、新たなエピマークの導入(エピゲノムへのエピマークの「追加」)に相当する。あとの4つ(d〜g)はエピマークの移行をあらわす素過程にあたるが、4つのうち実現可能でかつ具体的な実例を示すことができるのは(e、f)の2つだけである。

すでに述べたように、母細胞のエピゲノムがコピーされて娘細胞へと移行する過程は、有糸分裂にともなって起きる現象である。これと同様に、細胞から細胞へのエピマークの移行は必ず細胞分裂を通して起きることを注意しておきたい。これによって、表のd の過程が実現不可能な理由が理解できる。動物の場合、生殖細胞は胚発生の早い時期に他の細胞から分離・隔離されるので、組織や器官に分化した体細胞が生殖細胞と直接接触する機会はない。ただし植物の場合は、生殖器官(花器)は葉などと同様に、成体の体細胞から分化・生成するので、エピマーク移行の可能性はある。そして、表のeに示したように、実験による実例も報告されている。

最後の過程gは、動物においても植物においても、親の生殖細胞と子の生殖細胞が直接接触する場面はないと思われるので、もともと「素過程」に当たらない、という意味でリストから除外してよい。

表中の2カ所(c、f)に現れる「ゲノムインプリント」について、その要点を以下に解説する。

 

表1. TGEIの素過程

 エピマークの導入/伝達                実現可能性        実例

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 a) 環境(食餌)→ 体細胞                       可能             葉酸摂取でメチル化増大 [7]

 b) 環境(薬物)→ 生殖細胞             可能             ビンクロゾリン [13]

 c) 遺伝 → 生殖細胞(片親性伝承)  可能            ゲノムインプリント

 d) 個体の体細胞 → 生殖細胞(動物) 不可           —

 e) 個体の体細胞 → 生殖細胞(植物) 可能            シロイヌナズナ [14]

 f) 親の生殖細胞 → 子の体細胞          可能            ゲノムインプリント

 g) 親の生殖細胞 → 子の生殖細胞     不可             —(素過程でない) 

  —————————————————————————————————————

 

  1. ゲノムインプリンティングとの関係

エピゲノムは世代交代のたびに初期化され、親から引き継いだクロマチン修飾は一度すべて消去されるので、受精卵のクロマチンは化学修飾のない「まっさらな」状態から個体発生を始める。ただし例外があって、ゲノムの特定の(ヒトゲノムでは数十カ所ほどの)領域においては、親の生殖細胞で「刷り込まれた(インプリントされた)」エピマーク(DNAメチル化など)が消去されずに残り、そのまま子に伝わる。インプリントには、卵を介した母親由来と精子を介した父親由来という2つの場合がある(片親性伝承)。また、インプリントによって親から子に伝わる表現型(インプリント異常によって発症する遺伝病など)はメンデル遺伝に従わないという意味で、非メンデル型になる。したがって、TGEIという現象が存在するならば、エピジェネティックかつ非メンデル型の伝承を示すはずであり、ゲノムインプリンティングと少なからずの共通性をもつはずである。

ゲノムインプリンティングに関しては、すでに分子レベルの詳しい研究の蓄積がある。ゲノム塩基配列におけるインプリント領域は、複数のインプリント遺伝子と1個の長鎖非コードRNA(long noncoding RNA、略してlncRNA)からなるクラスターを形成している。クラスターの中心には、ICR(Imprinting Control Region)とよばれるDNA配列があって、ICRがメチル化されるか否かによってクラスターは一元的に制御される。ICRは一対の相同染色体のそれぞれに乗っているが、インプリントによってメチル化されるのはどちらか一方だけ(片親性メチル化)で、もう一方のICRはまったくメチル化されない。この状態は「選択的メチル化(differential DNA methylation)」とよばれる。

本来、ICRは隣接するDNA領域にコードされたlncRNAの転写開始を制御するプロモータとしての機能をもち、メチル化の有無によってプロモータ活性がオン/オフされる。一対の相同染色体のうち、メチル化ICRをもつ染色体ではプロモータ活性がオフになり、lncRNAは転写されない。そうすると、同じクラスター内にあるインプリント遺伝子は一斉に発現する。他方、メチル化されないICRをもつ染色体では、lncRNAのプロモータ活性がオンになり、lncRNAが転写される。lncRNAはインプリント遺伝子に対してインヒビターとしてシス(cis)に作用し、クラスター内のインプリント遺伝子の発現をすべて阻害し停止させる。以上を整理すると、ICRのメチル化の有無というわずかな差異が、クラスターをなすインプリント遺伝子すべての発現(オン)または停止(オフ)という大きな相違を生じるわけである。結果として、インプリント遺伝子は相同染色体の片方だけから発現する「片親性発現」を示すことになる。

ゲノムインプリントの起点をなすのは、ゲノム上にある特定のICRのメチル化(刷り込み)である。この刷り込みは片方の親の生殖細胞(卵または精子)において導入されるが、この過程には特殊な種類の短鎖非コードRNA(small noncoding RNA、略してsncRNA)が関与している。メチル基を導入するゲノム上の位置決めを行うために、このsncRNAが必要だと考えられる。ゲノムインプリントは環境の影響を受けて始まるのではなく、ゲノム情報(sncRNAもゲノムにコードされている)に従って始まる(表1の c)。ゲノムインプリントはエピジェネティックな要素(DNAメチル化、長鎖/短鎖非コードRNAなど)を含む現象であるが、全体としては獲得形質の関与はなく、すべて先天的に規定された遺伝的な現象である。したがって、TGEIとはいえない。

 

  1. アグーチ・マウスの問題

古くから知られ最も有名なTGEIの事例といえば、アグーチ・マウスをおいて他にない。「アグーチ」とは野生マウスの正常な毛色を指し、体毛の1本1本が根元から先端に向けて、黒-黄-黒に色分けされているため、全体としては茶色っぽく見える。このアグーチの毛色を生じる遺伝子はAとよばれる。(Aのオン/オフによって、毛色が黄/黒に変わる。)

遺伝子AにはAvy という変異遺伝子(vy はviable yellowの略で、「致死性ではない」という意味)が存在し、この変異遺伝子をもつ個体は全身が黄色になり、肥満などの表現型変異を伴う。この変異遺伝子Avy をもつ雌マウスと野生型の雄マウスを掛け合わせると、複数の子マウス(同腹の子)が生まれるが、子ども達の体色は黄から黒までのバラツキを示す。さらに、そのバラツキは母親の体色を中心にした分布を示すという [8]。

分子レベルの研究によると、変異遺伝子Avy は正常な遺伝子Aの上流に内在性レトロトランスポゾンが飛び込み(ただし、系統発生的な時間スケールでの過去のある時期に、という意味)、遺伝子Aに対して強力なプロモータとして働いている。この外来性プロモータがメチル化されると遺伝子Aの発現はオフとなり、毛色は黒になる。逆に「メチル化なし」のときは、このプロモータはオンになり遺伝子Aが発現し、毛色は黄色になる。

ところが、世代交代のさいにメチル化の消去(初期化)が不十分で、メチル基の「消し忘れ」がランダムに起きると、(子の)個体ごとにメチル化の程度が異なることになり、毛色にバラツキが生じる。そして、問題は「子ども達にあらわれるメチル化のバラツキの中央値は母親のメチル化の程度に等しい」(9)という点である。

これが本当なら、母親のメチル化の程度も祖母から確率的に受け継いでいるはずであり、一種の「獲得形質」といえる。(たとえば指紋などは、個体発生の一部に含まれるランダムな確率過程に従って決まるので、非遺伝性の一種の獲得形質だといえる。)母親マウスの獲得形質である毛色が、子マウスの毛色の決定に(バラツキの基準として)関与するということは、「獲得形質の遺伝」に限りなく近いことを意味し、TGEIの実例だとみてよいだろう。この点を詳しく調べた最近の研究があるので、その論文 [10] を次に紹介する。

 

  1. 不思議な論文

すでに述べたように、アグーチ・マウスの変異遺伝子Avy は、遺伝子Aの上流に内在性レトロトランスポゾンが飛び込んで生じたものであるが、マウスの内在性レトロトランスポゾンはとくにIAP(Intracisternal A Particle)とよばれ、マウス・ゲノムには約1万2千個のIAPが存在する。アグーチ変異体の母親から生まれた子ども達は、たがいにIAPのメチル化の程度が異なり、黄〜黒までの異なる毛色を示した。このように個体間でメチル化の程度が変動するIAP をVM-IAP(variably methylated IAP)とよぶ。すべてのIAPのうち、VM-IAPの割合は1〜2%である。

この論文[10] では、マウスの特定の系統(C57BL/6NJ)のゲノムに存在する数十個のVM-IAPについて、メチル化の程度が定量的に調べられており、同一個体内の組織/器官の違いによる比較と、異なる個体間での比較がなされている。その結果、同一個体(かつVM-IAPの同一の種類)でみると臓器の違い(脳、腎、肝、脾など)による差異はほとんどなく、メチル化の程度はどの体細胞で見ても基本的に同じであった。次に個体間で比較すると、VM-IAPという名前のとおり個体によってメチル化の程度は変動したが、同じ母親から産まれた同腹の子ども達と母親とのメチル化の関係が問題である。  

論文では母親と同腹の子ども達のメチル化の程度をセットにして、4種類のVM-IAPについて調べた結果が示されている(論文[10] のFig.5)。しかし、この中にはアグーチ変異体を生じるIAP(ここでは、VM-IAPAVYと記すことにしよう)は含まれていない。論文の著者らはこの論文の研究を行うにあたり、VM-IAPAVYを用いた実験を真っ先に行なったはずである。実際、論文のIntroduction ではアグーチ変異体のことが中心に記されている。ところが不思議なことに、Results の部分にはVM-IAPAVYはおろか、「アグーチ」という語もまったく見られず、完全に無視されている。先行者たち(とくに、Whitelaw ら[8, 9])の主張に反する結果になってしまったので、VM-IAPAVY に関する実験結果はすべて無視してしまったのだろうか? 仮にそれが本当だとすると、彼らの論文で発表されなかったVM-IAPAVYに関する実験結果はTGEIを否定する内容だった ー 母親のメチル化の程度はその子ども達のメチル化の程度とは無関係であった(Fig.5 と同様の結果)— にちがいない。ともかく、肝心の実験結果が隠されているので断定はできないが、この論文はTGEIに対して限りなく黒に近い(TGEIの否定)ものだと言わざるをえない。

 

  1. おわりに

動物におけるTGEIの代表として、もっとも有名なアグーチ・マウスのケースについて「TGEIが成り立っていない」とほぼ確実に言えたことは、大きな意味があると思う。アグーチ・マウスにおいて見たようにTGEIが実際に「ある」と主張するためには、分子レベルのエピゲノム変化を示すような実証データが必要である。巨視的な表現型変化だけをもってTGEIの証拠とするような主張 [11] は、証拠不十分として却下すべきである。

植物の場合は、動物とはちがって体細胞から生殖細胞へのエピマークの移行の可能性があるので(表1のe)、TGEIが実現する可能性は動物より高いだろう。植物のTGEIについて深追いするつもりはないが、1点だけ、エピジェネティック変異が何世代も続くような事例について触れておきたい。たとえば、18世紀の C.V. リンネの時代から現在にまで続くホソバウンランの有名な変異がある。野生型の花序(花弁が上弁と下弁の2段からなる)に対して、変異体の花序(花弁が同じ平面上に左右相称に並ぶ)はまったく異なる。しかしながら、エピジェネティックな変異が何百年も安定に伝達されるはずはないので、エピジェネティック変異はすでに遺伝的同化 [12] によって、遺伝的に固定化されていると見るべきである。そのほかにも植物におけるTGEIの事例は多くあるといわれているが、安定な変異体はすでに遺伝的に固定化され、したがって通常の遺伝の範囲内の事象とすべきものが多いのではないかと考える。なお、植物におけるTGEIについては、私自身の理解が不十分だと自覚しているので、今後の課題としたい。

 

References

 1. Koestler, A. (1971) サンバガエルの謎(石田敏子 訳)岩波現代文庫.

2. Horsthemke, B. (2018) Nature Commun. 9, 2973.

     https://doi.org/10.1038/s41467-018-05445-5

3. Fraga, M.F., et al. (2005) Proc Natl Acad Sci, USA 102, 10604-10609.

4. Holliday, R. (1987) Science, 238, 163-179.

5. Jablonka, E., Raz, G. (2009) Q Rev Biol. 84, 131-176.

6. Jablonka, E., Lamb, M.J. (2014) Evolution in Four Dimensions. MIT Press.

7. Francis, R.C. (2011) エピジェネティクス:操られる遺伝子(野中香方子 訳)

    ダイヤモンド社

8. Morgan, H.D., et al. (1999) Nature Genet. 23, 314-318.

9. Blewitt, M.E., et al. (2006) PLoS Genet. 2(4):e49. 

 DOI:10.1371/journal.pgen.0020049

10. Kazachenka, A., et al. (2018) Cell 175, 1259-1271.

11. Nono, M., et al (2020) Cell Rep. 30, 3207-3217.

12. Nishikawa, K., Kinjo, A.R. (2018) Biophysical Rev 10, 667-676.

      https://doi.org/10.1007/s12551-018-0403-x

13. Anway, M.D., et al. (2005) Science, 308, 1466-1469.   

14. Fujimoto, R., et al. (2012) Int J Mol Sci 13, 9900-9922.

 

西川 建 2021.05.14 脱稿   

 

 

 

表現型主導の進化モデル

オリジナル記事:「生物物理」談話室 55,212-215(2015)DOI:10.2142/biophys.55.212  西川 建・金城 玲「表現型主導の進化モデル」


1. 衝突する進化論

 最近,Nature 誌に「進化論は再考されるべきか?」というコメントが掲載された [1].その記事は,「再考の必要あり!」と主張する変革派 8人と,「その必要なし!」とする守旧派 7 人のあいだのディベートという形をとっている.守旧派が主張する進化論は「現代総合説」ともよばれ,現在の進化論のパラダイムをなす.もう一方の変革派は,現代総合説には限界があり,それを突破する必要があると主張する.具体的には,変革派はこれまで現代総合説によって軽視ないし無視されてきた環境の影響・表現型可塑性・発生の可塑性・エピジェネティック効果などを進化論に取り入れるべきだと主張する.それにより現代総合説では説明のつかなかった表現型の急速な進化の説明が可能になるという.変革派の諸理論はそれぞれに強調点が異なり,1 つにまとまっているわけではないが,現代総合説は狭く限定されており,拡張する必要があると主張する点では共通する [2].したがって,それらの諸理論は一括して「拡張総合説」(以下「拡張説」)とよばれる.両者の対立は10 年以上前からあり,年を追うごとに激しさを増し,いまや爆発寸前という状態にある.この対立が解消されるとしたら,拡張説の側がこれまでパラダイムとして君臨してきた現代総合説の限界を克服し,真に新しい進化論を打ち立てる以外にないと思われる.


2. 問題意識

 パラダイムとしての現代総合説のもっとも大きな問題点は,進化と遺伝,遺伝と発生はそれぞれ直接的に関係しているが,発生と進化はうまく噛み合わず,隔絶していることである.この齟齬には明確な理由がある.発生の結果生じる表現型(成体)は環境や育ちの違いによって個体が後天的に獲得した形質,すなわち獲得形質を含む.ところが現代総合説によると,獲得形質は遺伝せず,遺伝しないものは進化に寄与しないという.すなわち,獲得形質を含む発生上の変更は進化とは無関係となり,発生と進化の関係は切れてしまう.一方の拡張説は,発生過程や表現型可塑性が進化にとって重要だと指摘しながらも,それらがどうやって遺伝子変異をともなった進化に転化するのか説明できていない.

我々は,従来の現代総合説には,発生と進化の関係について論理的な問題があると考えるようになった.それは,「獲得形質は遺伝しない.遺伝しないものは進化に寄与しない。したがって獲得形質は進化に寄与しないので無視してよい」という現代総合説の基本的な主張は論理的に正しくないのではないか,という疑問である.この問題は自然選択を考えるとよくわかる.自然選択は個体の表現型(構造と機能)に作用する.表現型は遺伝子型(ゲノム)によって決定される遺伝的な要素と後天的に得られる非遺伝的な要素(獲得形質を含む)からなる.つまり,獲得形質も表現型の一部として自然選択の働きを受けるという形で進化に寄与する可能性があり,無視できない.この考えを突き詰めることで,変革派が指摘する総合説の問題点を乗り越えるとともに,変革派自身が解決できなかった問題をも解決できることを以下に示す.

現代総合説が表現型可塑性や獲得形質を軽視または無視してきたのは,それらの機構が長らく謎であったことも一因だろう.この状況は近年の「エピジェネティクス」の発展によって変わりつつある.ゲノムはその全体がエピゲノムと呼ばれるクロマチン修飾(DNAメチル化とヒストン修飾)で覆われており,ゲノムにコードされた遺伝情報の発現はエピゲノムにしたがって制御される.同一のゲノムを保ったまま種々の細胞が生じるという細胞分化の謎は,ゲノムとエピゲノムからなる二層構造(ゲノム情報とその制御システムの分離)によって分子論的理解が可能になった.ゲノムは個体の全細胞,全生涯を通じて基本的に変わらないのに対し,エピゲノムは組織や細胞ごとに差がある.また外界からの影響(環境変化,生活習慣,育ちなど)によって変化することもあるので,病気にも深く影響する.そして,これまで実態の不明な概念として生物学者から敬遠されてきた「環境の影響」やそれが誘導する「表現型可塑性」や「発生の可塑性」といった現象が,エピジェネティクスによって具体的に理解できる見通しがでてきた.以下に述べる進化モデルによって,エピジェネティックな変異が後天的な表現型変異として進化に関与することを示したい.


3. 進化モデルとシミュレーション

 以上のような問題意識の下に,我々は「共同作用モデル」と名付けた独自の進化モデルを着想し,論文にまとめた [3].詳細は原論文を参照して頂くことにして,以下では共同作用モデルの概要を紹介することにしたい.

まず我々は,「生物の進化は環境変化によって生じる」と考えた.これは育種を進化のモデルと見なしたDarwin に端を発する現代総合説の考え方「環境変化がなくても集団中に個体差があれば,相対的に高い適応度を持つものが選択されて繁栄する」とは対照的である.さて,ある生物の集団が安定した環境A の下にあるとして,ある時点で環境がA からB へと突如として変化し,その後は環境B がずっと続くとする.このような環境変化に遭遇した集団は,時間(世代数)とともにどのように変化するか? この問題を従来の総合説で考えるには,自然選択の作用を受ける個体の表現型値P を与える次式が基本になる [4].

  P = G + E                       (1)

ここで,表現型値P がある閾値を超えると新規の表現型を発現すると解釈する.G は遺伝的変異による表現型への寄与を表し,E はG 以外の寄与による集団内の個体のばらつきを表わす(環境偏差と呼ばれる).このE 項は(個体によらず)平均値0,標準偏差σ(E )のガウス分布で与えられる [4].

第1 項のG は,今考えている表現型に関与する遺伝子が全部でL 個あるとして,それぞれの遺伝子変異の効果を相加的に考慮した値である.各々の遺伝子変異は個体の生存にとって半々の確率(もっとも簡単な仮定)で有利または不利とした.このG の値は交
配によって増減しうる.なお,最終的に表現型値に実効的な寄与を持つ遺伝子変異のみを考えるので,中立的な変異は無視した.

以上の総合説のモデル化に対して,共同作用モデルでは,次のように少しだけ基本式を変更する.

  P = G + F                       (2)

ここで F は非遺伝的要因に対応し,巨視的な観点からいえば表現型可塑性による形質変異(獲得形質)を,あるいは微視的にいえばエピゲノムの変化による表現型変化を表す.こうして左辺のP は,ゲノムに依存する項(G)とエピゲノムに依存する項(F )からなり,個体の表現型は両者の共同作用によって生じることを表す.エピジェネティックな効果は,さまざまな細胞や組織にいろいろな仕方で現れる効果であるため,F としてガウス分布(平均値0,標準偏差σ(F ))を仮定するのは妥当だろう.これは式1 と式2 は本質的に同じ理論であることを意味する.両者のちがいは,ガウス分布標準偏差の大きさの違いで表わされ,環境偏差E にくらべて,エピジェネティック項F の分布は有意に大きいとした:

  σ(E ) < σ(F )                  (3)

つまり,従来単なるノイズとしての役割しか与えられていなかった環境偏差 E に,エピゲノムという環境応答機構を考慮することによって積極的な意味を与え,それをエピジェネティック項 F に置き換えたものが共同作用モデルである.

詳細は省略するが,簡単な遺伝的アルゴリズムによる集団の個体数変動のシミュレーションを次のように行った.1)個体数の初期値および上限(最大値)はともに10 万とした.2)σ(E ) は初期集団のG の標準偏差と同程度,σ(F ) はその数倍程度とした.3)第0世代に始まる大きな環境変化に対応して閾値モデルを導入し,閾値を超える大きな表現型変化を示した個体のみが淘汰圧を克服して無条件で選択されるとした.4)選択則は,閾値を超えるP 値を持つ個体は無条件(確率1)で生き残り,P 値が負の個体は確率1 で死に絶え,それ以外は一定の低い確率(q)で生き残るとした.5)生き残った個体は交配し,個体あたり平均4 個体の子孫を残すとした.このとき個体(子ども)の L 個の遺伝子のそれぞれは,両親のどちらかからランダムに選ばれる.その結果,個体のG 値は増減する.6)その後すべての親が死ぬことによって世代は入れ替わる.

なお,シミュレーションでは,2 つのモデル ―式1の総合説モデルと式2 の共同作用モデル― に対して同一のパラメータセットと初期条件を適用し,結果を比較した.


4. 瓢箪から駒

 シミュレーションの結果を見ると,2 つの進化モデルの差は歴然としている(図1).総合説モデル(赤いトラジェクトリー)では世代とともに個体数が単調に減少し,ほぼ15 世代あたりで絶滅(個体数 0)してしまう.それに対し共同作用モデル(青いトラジェクトリー)では,最初の数世代までは個体数が単調に減少するものの,その後は個体数の減少は止まって上昇に転じ,V 字回復をする(図1A).両モデルの違いは,個体数変化だけでなく,それぞれの世代で生き残った個体についての表現型値の平均<P>(図1B),エピジェネティック効果による寄与の平均<F>(現代総合説モデルでは<E>)(図1D)の時間変化でも顕著な差が認められる.

共同作用モデルでは,<P> と<F> は最初の急激な立ち上がりのあと,前者は緩やかに上昇を続けるのに対し,後者は次第に減少する.このことは,環境変化のあと最初の数世代のあいだは,生き残る個体はもっぱら大きなF 項を持つものに限られるが,世代が進むにつれて<G> が徐々に増大(個体あたりの有利な遺伝的変異が蓄積)し,<F> が<G> に置き換えられていくことを示している.この点は,Waddington によって行われた「遺伝的同化」の古典的実験 [5] を想起させる(後述).一方,総合説モデルではE 項が大きな値を持ち得ないため,このようなことは起きない.

集団における個体の持つG 値の分布を世代ごとに比較してみると,分布のピーク(最頻値)は世代とともに確実にG の増大する方向にシフトして行くことが読みとれた(文献3 の付録Table S1 を参照).これはちょうど,Dawkins が主張した「累積淘汰」による高速進化の現象 [6)]に相当する.このように共同作用モデルの簡単な基本式(式2)に基づいたシミュレーションによって累積淘汰の現象が自動的に現れたのは,まったく予想外のことであった.累積淘汰が現れた理由を考えてみると,十分大きな正の F 値を持つ個体はG 値が(閾値に比べて)低くても生き残ることができ,G 値が高い個体は比較的低い F 値でも生き残れるため(図1D),G 値のより高い個体が出現するごとに(相対的に)安定化されるというラチェット機構が成立しているからである.こうして,累積淘汰が可能になるメカニズムは,共同作用モデルによって余すところなく理解できるのである.


5. 実験との比較

 我々の進化モデルとよく合うような実例が見つかれば,モデルの信憑性が高くなる.我々は比較の対象として,現代総合説では説明が難しいとされるWaddingtonの遺伝的同化の実験を選んだ.ショウジョウバエを用いたWaddington の実験は分子生物学が登場する以前の1950 年前後に多く発表されている [5].(ちなみに「エピジェネティクス」はWaddington による造語である.)

 Waddington は何種類もの実験を行っているが,ここではそのうちの1 つだけを取り上げる.この実験では,野生型のショウジョウバエの実験個体群の蛹に熱ショック(40°C)を与えた.そうすると,羽化した成虫のなかの40% に翅の横脈の一部が欠失

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図1
シミュレーションの結果(文献3 より転載).総合説モデル(赤線)と共同作用モデル(青線)に基づくシミュレーションを,乱数のシードを変えてそれぞれ5 回ずつ行った.A:世代交代にともなう個体数の変化.B:各世代で生き残った個体あたりの表現型値P の平均値の変化.C:遺伝子型値G の平均値の変化.D:環境偏差E(赤)の平均値またはエピジェネティック項F(青)の平均値の変化.なお,個体数が0 に近づくと分散は大きくなりすぎるので,個体数が10 未満のときのB,C,D プロット(赤)は省略した.

する表現型変異を持つ変異体が現れた.そして変異を持った個体だけを人為選択し,選ばれた個体どうしを交配させ,卵を産ませる.こうして得られた次世代の個体に対しても親世代と同じ外的ストレス(熱ショック)を加え,成虫にまで育てて変異体を選別する.このプロセスを10 ~ 20 世代にわたって繰り返すと,成虫にまで育った個体中の変異体の割合がどんどん上昇し,ついには外的ストレスを加えなくても成虫はすべて変異
体ばかりになる(固定化)という.このような現象をWaddington は「遺伝的同化」と呼んだ.現代総合説では,一般に集団に新しい形質が発生し,それが集団全体に固定するのには,少なくとも数千~数万世代はかかる [7],と言われる.したがって,遺伝的同化の現象を総合説で説明することは困難である.

さて,Waddington の遺伝的同化の実験と共同作用モデルのシミュレーションを比較すると,前者は外的ストレスと人為選択,後者は環境変化と自然選択という違いがあるものの,集団や個体の表現型および遺伝子型の時間的変化について見ると,非常に良い一致が認められる.まず外的作用(環境変化/外的ストレス)を受けると,集団中のある割合の個体に顕著な表現型変化が現れる.この変化は初期世代の集団内に現れる(このとき個体のゲノムは変化しない)ので,遺伝的変異によるものではないことがわかる.これは図1 では,初期世代(<G> = 0)における<F> および<P> の跳ね上がりに相当する.このように,遺伝的変異に先立って集団中に一定の割合で表現型変異が起きるのは表現型主導進化に特有の現象である [8].

さらに,Waddington の実験では最終的に外的ストレスを与えなくても変異体が生じることをもって,遺伝的同化のプロセスが完了し,新しい変異が集団中に固定したと判断された.一方,我々の図1 では,世代とともに<F> の効果が<G> によって置き換わって
ゆく,まさに遺伝的同化の過程そのものがシミュレーションによってみごとに再現されていす.とくに遺伝的同化の実験が10 ~ 20 世代で完了するという結果は,同じように速い進化が累積淘汰によって可能になるという共同作用モデルの結果とよく一致している.


6. おわりに ― 真の総合説へ

 現代総合説モデルと共同作用モデルの基本式は,一見したところ同じにしか見えないかも知れない.しかし,「2.問題意識」で述べたように,共同作用モデルは「獲得形質」を取り込んだ進化モデルであり,その点で獲得形質を完全に無視する現代総合説とは決定的に異なる.共同作用モデルではエピジェネティックな表現型変異と獲得形質はほぼ同じように見なし,両者とも式 2 の非遺伝的な項F として取り扱った.ただし,すべてのエピジェネティック変異/ 獲得形質が進化に寄与するわけではなく,自然選択によって選ばれる適応的なものでなければならない.エピジェネティックな変異の中には顕著な表現型変化をもたらす例も多数知られるようになったことから[9],式3 の「F の分散はEに比べて顕著に大きい」という仮定は妥当である.したがって,式1 と式2 は定量的にも定性的にも明確に異なるといえる.   

式2 のF 項には,獲得形質やエピジェネティックな変異のほかに,発生の可塑性に基づく変異も非遺伝的変異の効果として代入できる.そして,F が適応的な発生学的変異(大きな正の値)ならば,累積淘汰と遺伝的同化が作動し,進化が起こる.つまり,発生学的変異を進化のメカニズムに組み込むことができ,発生と進化が連結されることになる.こうして,冒頭で述べた我々の問題意識―発生と進化の齟齬―は解消され,遺伝と発生と進化は1 つの連続した円環として閉じることになる.同時にそれは,遺伝と発生を踏まえた「進化の真の総合説」への道を拓くことになる.


文 献
1) Laland, K. et al. (2014) Nature 514, 161-164. DOI: 10.1038/514161a.
2) Pigliucci, M., Muller, G. B. (eds.) (2010) Evolution: The Extended Synthesis.

 MIT  Press.
3) Nishikawa, K., Kinjo, A. R. (2014) BIOPHYSICS 10, 99-108.   

 DOI:10.2142/biophysics.10.99.
4) Barton, N. et al. (2009) 進化(宮田隆・星山大介監訳)メディカルサイエンス

 インターナショナル.
5) Scharloo, W. (1991) Annu. Rev. Ecol. Syst. 22, 65-93.

 DOI:10.1146/annurev.es.110191.000433.
6) Dawkins, R. (2004) 盲目の時計職人(日高敏隆監訳)早川書房
7) Lande, R. (2009) J. Evol. Biol. 22, 1435-1446.
8) West-Eberhard, M. J. (2003) Developmental Plasticity and Evolution.
 Oxford Univ. Press.
9) Gilbert, S. F., Epel, D. (2012) 生態進化発生学(正木進三他訳)東海大学出版会.

 

天然変性タンパク質とは何か?

 オリジナルは、生物物理  Vol.49, No.1 (2009)に「解説」記事として掲載された。

 

1. はじめに

 これまでタンパク質といえば,特定の立体構造をつくり,その構造を基盤として特異的な機能を発揮するといわれてきた.ところが近年になって,このような通念に反して,立体構造をつくらないタンパク質(あるいは,その部分)が生体内に多数存在することが知られるようになった [1].球状構造をとらないアミノ酸配列部分が数百残基におよぶことも珍しくない.このような配列部分は「本来的に不規則(intrinsic disorder)」な領域とよばれ,タンパク質分子の全体が不規則領域からなるもの,または部分的にせよ不規則領域をもつものは天然変性(natively unfolded)タンパク質という.イメージとして,これらの不規則領域は変性状態のランダムコイルに似た状態にあると考えられている.そうだとすると,なぜ生体内でたがいに会合し凝集しないのか,あるいは,単独で存在するなら,なぜ各種のプロテアーゼ(分解酵素)によって分解されてしまわないのか,といった疑問が生じる.しかし,このように従来からの通念に一見反して見えるところが,天然変性タンパク質の最大の特性なのかもしれない.

天然変性タンパク質が生体内に多数存在することは事実であり,しかもシグナル伝達系や遺伝子発現制御などに関与する重要なタンパク質のなかに特に多いともいわれている.しかし,その一方で,注目されるようになったのが比較的最近になってからという事情もあって,天然変性タンパク質をめぐってはまだ不明な点も多い.以下では,何がどこまで明らかにされ,どのような問題が残っているかを,私見を交えながら述べることにするが,そもそもタンパク質の長い研究史のなかで,なぜ天然変性タンパク質はその存在がこれまで見落とされてきたのか,というところから稿を起したい.

 

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          天然変性タンパク質のイメージ図

 
2. なぜ天然変性タンパク質の発見は遅れたのか?

 立体構造そのもの,あるいは,構造をつくらない部分をもつようなタンパク質は,実はずっと以前から知られていた.X 線結晶解析の分野では,リボソーム・タンパク質のように結晶化しない(しにくい)ことで有名なタンパク質がある.あるいは,結晶化に成功して構造決定してみると,タンパク質の一部(100 残基のオーダーにおよぶこともある)が見えないこともある.見えない部分は結晶中で動きをもつためか,または多型的な構造をもつためと解釈される.そのような部分は結晶化を妨げる場合が多いので,あらかじめその配列部分を切り取り,短いリンカーなどで置き換えるといった工夫が加えられたりする.X 線結晶学者にとって,これらの部分は結晶化を妨げるじゃまものでしかなかった.一方,情報解析の分野では1990 年代になって,タンパク質中に同じアミノ酸の連続や,少数個のアミノ酸からなる単調な配列が多量に見いだされ,低複雑性(low complexity)配列とよばれていた [2]. このような配列は通常の球状構造をつくる部分には現れないため,それ以外の領域と解釈されたが,その形状については推測の域を出なかった.むしろ,低複雑性配列を含むタンパク質のホモロジー検索を行うと多量の不用な配列がヒットするため,それを防ぐための便法として使われ(あらかじめ低複雑性配列をマスクしておく),広く知られるようになった.以上のように,構造をつくらない部分の存在は知られていたが,いずれにせよ否定的な意味合いが強く,まともな研究対象とされなかった.

このようなマイナスのイメージを逆転し,不規則領域に積極的な意味を与えたのが,1999 年に発表されたWright らの論文[3]だった.この論文では,NMR 測定によって種々のタンパク質が不規則領域を介して他のタンパク質と相互作用することが示されるなど,多数の実験的事例が集大成されている.それによると,不規則領域は単独の遊離状態では決まった形をもたない不定形状態に特有のNMR スペクトルを与えるが,相手タンパク質が共存すると相互作用し,α ヘリックスなどの2 次構造を形成しながら複合体を形成するという.この種のタンパク質―タンパク質(または,タンパク質―核酸)間相互作用を示す天然変性タンパク質の事例として,転写因子,コアクチベータ,転写終結因子,細胞周期調節因子,RNA 結合タンパク質など多数が紹介されている.

上記のWright らの論文のタイトルは「タンパク質の構造・機能相関パラダイムの再検討」と銘うたれている.かたい球状構造をつくることによってタンパク質ははじめて機能する,と考えるのがわれわれの常識だった.論文ではその常識を見直すべきことが強調されているが,同じことが,なぜ天然変性タンパク質の発見は遅れたのか,という問いに対する答えにもなる.常識に反するデータは認めたくないし,無意味なものとして否定したくなるからである.もう1 つ,遅れた原因を求めるとすれば,分子生物学の研究が細菌から始まり真核生物は後まわしになったという事情も無視できない.原核生物のタンパク質は相対的に単純で上記の意味のパラダイム(常識)に合致するものが多いのに対し,真核生物では複雑で常識はずれのタンパク質が多いからである.後述するように,天然変性タンパク質は真核生物において圧倒的に多く見いだされる.

Wright らの論文によると,1990 年代半ば頃には,NMR 研究者を中心とする人々の間では天然変性タンパク質の存在がすでに知られていたことがわかる [4].その先行者となったのは,1980 年代という早い時期に転写因子の異常さを指摘したSigler [5] かもしれない.彼は,転写因子の転写活性化部位(activation domain)とよばれる機能部位が,形のない負電荷をおびた「ヌードル」のような状態にあると表現した.しかし,新しい概念が定着するためには,それにふさわしい名称が必要だったようである.本来的に不規則(intrinsic disorder)という用語の登場によって,はじめて天然変性タンパク質の存在が認知されるようになったといえる.


3. 情報解析からのアプローチ

 天然変性タンパク質の研究を,いちはやく情報解析の分野にもち込んだのは Dunker であった [6].Dunkerらが情報解析の基礎としたのは,構造をつくらない不規則領域の配列が球状構造の部分とは顕著に異なるアミノ酸組成をもつという特性だった.球状構造がフォールディングのために一定量の疎水性残基を必要とするのに対し,不規則領域は荷電性および親水性の残基に富み,疎水性残基は顕著に少ないという傾向を示す.このようなアミノ酸配列における差異を利用すれば,配列データから不規則領域を予測することができる.こうして2000 年前後から始まった情報解析は,ゲノム情報の急増する波に乗って,あらゆる生物種のタンパク質を対象とした解析へと広げられ,矢つぎば
やに論文が発表されるようになった.その結果,次のような事がらが明らかにされた.

1)不規則領域には短い配列パターンからなる繰り返し配列が含まれることが多い [7].これと関連して,先に述べた低複雑性配列は不規則領域の一部に含まれると解釈されるようになった.2)ドメインと比べて不規則領域は大きな進化速度をもち [8],したがって配列の保存性が極端に悪い.この点は天然変性タンパク質に対してBLAST によるホモロジー検索を行うことで容易に知ることができる.3)ドメインと不規則領域からなる天然変性タンパク質の分子構成を見ると,通常,不規則領域はドメインどうしを連結する部分やタンパク分子の両端に存在することが多いが,ときにはドメインの途中に挿入されることもある [9[.この場合,不規則配列は球状構造の表面(2 次構造間のループ)に挿入され,分子表面からとび出した不定形ループを形成する.4)比較ゲノム研究によると,天然変性タンパク質の割合は真核生物に多く,原核生物では少ない.定量的な値は,予測プログラムによって異なるが,Jones ら [10] の値(不規則領域の全長に占める割合は真核生物では16-22%,原核生物では3-7%)が妥当だと考えられる.5)真核生物においては,天然変性タンパク質は核内にもっとも多く,ミトコンドリアでもっとも少ない[1]).後者は,ミトコンドリアが細菌の共生に由来することを考えると4番目の点と符合する.一方,機能面においては上述したように,相互作用と同時に一定の形状が誘起されて複合体を形成する,いわゆる「結合と折りたたみの共起」(coupled binding and folding)する現象が種々の天然変性タンパク質で実験的に確認されている.このような相互作用は通常は一過的・可逆的に起こるとされる [11].不規則領域中の相互作用部位はα ヘリックスなどの2 次構造形成能を示すことが多く,配列の特徴に注目した機能部位予測の試みも始まっている [12].また同一の相互作用部位が,状況が違えば異なる標的タンパク質と結合する,いわゆる多角的(promiscuity)相互作用の現象がある[11].これは従来の球状タンパク質どうしの相互作用には見られない,天然変性タンパク質だけに特徴的な現象である.このような多角的相互作用の特性から,細胞内相互作用ネットワークにおけるハブ・タンパク質との関係が注目され,事実,ハブ・タンパク質は不規則領域を多く含むことが統計的に示されている [13, 14].その他に,天然変性タンパク質の不規則領域にはリン酸化やユビキチン化などの翻訳後修飾を受ける残基部位や,核移行シグナルなどのシグナル配列など,広い意味の機能部位も存在する.


4. 天然変性タンパク質の典型としての転写因子

 転写は遺伝子発現の最初のステップにあたり,DNA にコードされた遺伝情報がRNA に写しとられる.真核生物において転写を実行するのはRNA ポリメラーゼ2(RNAPII)であるが,RNAPII をDNA 上の正しい位置(プロモータ)に導く基本転写因子群と多数の補助タンパク質因子(メディエータ)からなる転写開始複合体が,転写因子からの活性化シグナルを受け取ることによって転写が開始する.こうして遺伝子発現のオン・オフを行う転写因子は遺伝子に応じて異なり,高等動植物ではゲノムあたりの転写因子の数は1000 種類以上にのぼるといわれる.転写因子はDNA 2 本鎖に結合するのでDNA 結合ドメインをかならずもつという共通性があり,DNA 結合ドメインの種類によって転写因子をファミリーに分類することができる.

先に述べたWright らのNMR 研究によって,転写因子は不規則領域を含むものが多いことはすでに示唆されていた.その後,すべてのヒト転写因子を対象とした情報解析の結果が2 つの研究グループ(1つは我々のグループ [15])によって同時期に発表された[16].これらのグループはそれぞれ異なる予測プログラムを用いているが,転写因子の全長配列のうち約半分を不規則領域が占めるという点で一致している.多数のタンパク質の平均値として,この割合は非常に高い.転写因子の分子構成を図示してみると,不規則領域と構造領域(ドメイン)の関係がよくわかる(文献17 の図6 を参照).ヒト転写因子では,DNA 結合ドメイン以外はすべて不規則領域(それと,どちらとも判定できない空白部分)だけからなるタイプのものが多い(全体の6 割).転写因子の機能を考えると,このことは重要な意味をもつ.転写因子はDNA 2 重鎖に結合する一方で,転写開始複合体に転写活性化シグナルを伝えるという機能をもつ.このような分子構成からすると,この第2 の機能部位は不規則領域中に存在せざるをえない [17].かつて Sigler が指摘したように,転写因子の転写活性化部位はまさに「ヌードル」のような不定形部分に存在する.上記の2 つの論文 [15, 16] でも,転写活性化部位は不規則領域として予測されると指摘されている.さらにWright らが明らかにしたように、これらの転写活性化部位は二次構造を誘起しながら「結合と折りたたみの共起」によって標的タンパク質と複合体を形成するわけである.

以上のように,ヒト転写因子は不規則領域の大きな割合から見ても,機能的な重要性から考えても典型的な天然変性タンパク質であるといえる.このような転写因子の特性は,ヒトにかぎらず真核生物一般に共通するが, 原核生物にはまったく当てはまらない
(図1).原核生物の転写因子はほぼ完全に不規則領域を欠いているようである [18].


5. 天然変性タンパク質は真核生物に特有か?

 図1 から明らかなように,転写因子にかぎれば不規則領域は真核生物に多く,原核生物大腸菌)では少ない.これらの結果は予測プログラムを機械的に適用して得られたものであり,大腸菌転写因子のおよそ5% という不規則領域の割合は,ドメインどうしをつなぐリンカー部分や,配列の両末端に現れる(ドメインに含まれない)テール部分の総和として説明できる.いいかえると,大腸菌転写因子には(長大な)不規則領域は事実上存在しないと考えられるのである.

それでは,同じことが転写因子にかぎらずタンパク質一般についてもいえるのだろうか? 真核生物と原核生物における不規則領域の量的な差異を明確に示したのはJones ら[10] であった.すでに述べたように,天然変性タンパク質の割合は真核生物で高く,原核生物では低くて両者のあいだに不連続的な差異があることを示した.一方,早い時期から情報解析を始めていたDunker や,Tompa グループは真核/原核生物を区別することなく,原核生物にもかなりの割合の天然変性タンパク質が存在すると報告していた[6, 19].ところが,最近ではJones らの論文の影響からか,天然変性タンパク質は原核生物よりも真核生物に「相対的に多い」という表現に変わりつつある.解析結果のこのような違いが生じる原因には予測プログラムの問題がある.Dunker らはPONDR という予測プログラムを開発し,Jones らはDISOPRED を開発した.DISOPRED に比べてPONDR が不規則領域を過剰に予測する傾向を示すことについては,別に記した [17] のでここでは繰り返さない.

ところで,天然変性タンパク質は原核生物にも存在するか,という上記の問題は「本来的に不規則(intrinsic disorder)」という定義をどう解釈するかという問題に関係する.たとえば,リボソーム・タンパク質は単離精製すると結晶化しないことで有名だが,それゆえにリボソーム・タンパク質は天然変性タンパク質だと見なすべきだろうか.リボソーム・タンパク質は生体内(in vivo)で遊離した状態にあるわけではなく,リボソームRNA のつくる巨大な構造のあいだに入り込み,構造安定化材としてはたらく.全体としてのリボソーム顆粒の結晶構造を見ると,個々のリボソーム・タンパク質はRNA との複合体のなかで固定化されていることがわかる.むしろ,生合成直後のリボソーム・タンパク質の示す形態的な柔軟性は複雑なRNA分子との複合体形成にとって必要であるが,最終的には固定した構造をとる.したがって,RNA との複合体をつくった状態が「本来的」だとすれば,リボソーム・タンパク質は天然変性タンパク質とはいえないことになる.同様の議論は,細菌の鞭毛タンパク質であるフラジェリンにも当てはまる.単離したフラジェリンは柔軟で不定形の状態にある [20]が,最終的にはフラジェリン重合体として鞭毛の中に組み込まれる.フラジェリン単体の柔軟性は重合体形成のさいに鞭毛内部の筒状の空間を通過するために必要だと考えられている.つまり,生合成後のフラジェリンは一時的にいわば疑似変性状態を経験するという点でリボソームタンパク質と似ている.しかし,その後の重合体に組み込まれた状態こそ本来の姿だとすると,フラジェリンは天然変性タンパク質だとする議論 [21] はあたらないことになる(ちなみに,DISOPRED 予測によるフラジェリンの不規則領域は6% にすぎない).

 私見によれば,これまで原核生物において見いだされた天然変性タンパク質というのは,単純に予測プログラムによる過剰予測の結果か,あるいは上記のフラジェリンやリボソーム・タンパク質のように生合成後の一過的な姿を捉えたものにすぎず,本来の状態とはいえない場合が多いと思われる.そうだとすると,原核生物には長大な不規則領域をもつタンパク質は事実上存在せず,したがって,天然変性タンパク質は真核生物にだけ存在する真核生物特有のものといえるのではないだろうか.


6. 細胞内局在性

 現在のところ,天然変性タンパク質は真核生物のみに限られるとは言い切れないまでも,原核生物に比べて真核生物に多く存在すると見る点では研究者の意見は一致している.では,真核生物のタンパク質にはある割合でまんべんなく不規則領域が存在するのだろうか? 先に紹介したJones らは論文 [10] では,細胞内局在の違いにしたがって

 

図1。 生物種ごとに見た転写因子の比較.各生物種の多数の転写因子について,構造ドメイン(緑)と不規則領域(赤)の割合を調べた.空白部分は,既知の構造ドメインとも不規則領域とも予測されなかった割合を示す.不規則領域の割合は,真核生物(ヒト,ショウジョウバエ酵母シロイヌナズナ)と原核生物大腸菌)のあいだで大きな差があることがわかる.(本図は,冊子体ではモノクロ, 電子ジャーナルhttp://www.jstage.jst.go.jp/browse/biophys/ ではカラーで掲載)

出芽酵母の全タンパク質を分類したのち,それぞれの分類カテゴリーごとに予測によ
る不規則領域の割合を解析している.その結果,タンパク質あたりの不規則領域の割合は,核内タンパク質でもっとも多く,逆にミトコンドリア・タンパク質でもっとも少ない,などの偏りを示した.ただし彼らの論文では相対的な統計値しか示されていない.それを補う意味で,Jones らの予測プログラムを用いてわれわれの追試したヒト・タンパク質に関する同様の結果(Minezaki et al. 未発表)を表1 に示しておく.タンパク質データはSwiss-Prot データベースに記載されたヒト由来のタンパク質を使用し,それぞれのタンパク質の細胞内局在の判定はSwiss-Prot の記載にしたがった.表中のリストのうち2 番目の「核・細胞質」というカテゴリーは,核と細胞質の両方に分布するものを指し,「その他」は複数のカテゴリーに分類されるなど帰属が不明確なものを意味する.表1を見ると,核タンパク質は群を抜いて不規則領域の割合が高いことわかる.すでに述べた転写因子も核タンパク質に含まれるが,転写因子は核タンパク質全体の約3 割を占めるので,残りの7 割の核タンパク質も不規則領域を多く含むことになる.なぜ核タンパク質は不規則領域を多くもつのか,という点は興味深い問題である.

次に見方をかえて,タンパク質を細胞内(細胞質と核)と細胞外(分泌性と小胞体(ER),ゴルジ体)にわけて考えると,不規則領域は細胞内タンパク質に多く,細胞外タンパク質で少ないことがわかる.膜タンパク質の平均は細胞外に近い値を示しているが,膜タンパク質を細胞内外のドメインにわけて不規則領域の割合を調べた結果によると,予想どおり,細胞外ドメインよりも細胞内ドメインで相対的に不規則領域が多く存在した [22].細胞内外でこのような非対称性を生じる原因は何なのか,これも未解決の問題である.ミトコンドリア・タンパク質は不規則領域が相対的にもっとも少ないのはJones らの結果と一致しているが,表1 の値(9-11%)は期待したほど低い値ではない.ミトコンドリアが細菌由来の細胞内共生体であることを考えると,ミトコンドリアで働くタンパク質にも細菌におけると同様に5% 前後の低い値が予想されたのである.このような定量的なくい違いの裏には何があるのか,ミトコンドリアと細菌のタンパク質を慎重にくらべてみる必要がある.

 

表1   ヒト天然変性タンパク質の細胞内局在

分類カテゴリー    タンパク質数 不規則領域の残基割合

核           1374                    42%
核・細胞質                 257                    32%
細胞質             750                     25%
細胞膜         2161       14%
細胞外(分泌性)           813                     13%
小胞体(ER)/ゴルジ体  124                     13%
ミトコンドリア       276                     11%
ミトコンドリア膜      131                       9%
その他           371                      ー
合計/平均       6257                     23%

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 


7. コンピュータ予測の問題点

 天然変性タンパク質のなかには,全長が不規則領域からなる例外的ものがあるが,転写因子で見たように,ドメイン(単数または複数)と不規則領域の両方を同時にもつのが通例である.したがって,ごく自然に考えると,ドメインに含まれない部分は不規則領域であり,逆に不規則領域でなければドメインというように,1 個のタンパク質は2 種類の領域に分割されるはずである.ところが奇妙なことに,これまでに開発された不規則領域の予測プログラムは不規則領域か否かを予測するものばかりで,ドメインに対しての不規則領域という発想は見られない.たとえば,この研究分野のリーダであるDunker らは,予測プログラム PONDR を用いておびただしい量の論文を発表し続けているが,予測された不規則領域の多少に言及するのみで,ドメインとの関係については一切触れようとしない.仮に,球状構造をつくるドメインの領域が(部分的にしろ)不規則領域と予測された場合は明らかに予測エラー(過剰予測)というべきだが,ドメイン領域を明示しなければ予測の成否はうやむやに終わる.

一方,タンパク質のドメインについては長年の研究の蓄積がある.ドメインはタンパク質の構造単位というだけでなく,フォールディングの単位でもあり,有限個の基本形(フォールド)に階層分類されている [23].ドメイン構造は安定であり,進化的な保存性が高く,原核/真核生物にまたがって共通に保存されるドメインも多い.したがって,ドメインという安定要素に注目した情報解析はゲノム規模の比較解析に有効であり,多くの研究が行われてきた [24-27].ところが奇妙なことに,ドメインを重視する研究者たち(Koonin [24],Orengo [25],Teichmann [26],Elofsson [27]など)は天然変性タンパク質についていまだにまったく触れようとしない.つまり,タンパク質の情報解析の現状をあえていうなら,不規則領域に注目する人はドメインに一切触れようとしないし,反対に,ドメインを重視する人たちは不規則領域を完全に無視する,といった世にも不思議な構図が成立しているのである.このような不自然な状況を打破するためには,ドメインと不規則領域の両方を同時に見る視点が重要であると考える.たとえば,「不規則領域予測」という発想がすでに誤解のもとかもしれない.その点を説明するために,われわれが実際に行った対処法を述べるのが一番わかりやすいと思うので,以下に手短に記しておく.

もともとわれわれはドメインを重視し,ゲノムにコードされたすべてのタンパク質について,構造既知のドメインに対する相同ドメインを同定し,GTOPデータベース [28] として公開してきた.その後,Jones らの予測プログラムDISOPRED によって得られた不
規則領域をGTOP に加えた.しかし,これではドメインと不規則領域を正しく考慮したことにはなっていない.転写因子について述べたように,予測プログラムは不規則領域のほかに未判定の空白領域を生じるからである.空白領域には構造未決定の未知ドメインが含まれている可能性があるので,空白部分をさらに不規則領域と(未知)ドメインに判別する必要がある.この問題は,いいかえると,不規則領域か否かという予測法の代わりに,タンパク質の全長をドメインと不規則領域に2 分する方法が必要なことを意味している.このような二分法は現在開発中なのでまだ最終的なことはいえないが,これが可能になれば未知ドメインの所在とその割合を知ることができるし,不規則領域の範囲をより正確にいうことができるだろう.こうして,ドメインと不規則領域の両方を同時に(かつ同等に)取扱うことができれば,上記の問題は解消できるだろうと考えている.


8. 残された問題

 真核生物は,一般にエクソンイントロンからなる遺伝子構成をもつという点で,原核生物と大きく異なる.転写の過程でイントロンは切り落とされ,エクソンどうしがつなぎ合わされて(スプライシング),次の翻訳の過程(タンパク質合成)へ進む.ところが,スプライシングは常に同じように起るとはかぎらず,エクソンのつなぎ換えを伴う「選択的スプライシング」が生じることがある.その場合,スプライシング異性体とよばれる産物(タンパク質)が得られるため,同一の遺伝子から複数のタンパク質を産生する機構として注目されてきた.この現象は遺伝子(DNA)側から見ると一見何の問題もないように見える.しかし,タンパク質側から見ると「信じられないほど無謀な」現象に感じられる.なぜなら,タンパク質はドメインを単位とする立体構造をつくるからであり,遺伝子のエクソン単位でアミノ酸配列が脱落するなどの変化が起れば,もはや立体構造は維持できないはずだから [29].ところが,天然変性タンパク質の登場によってタンパク質はドメインだけでなく,不規則領域をもつことになった.選択的スプライシングに伴う配列変化がおもに不規則領域の範囲内で起きるなら立体構造との齟齬は生じないだろう.

Dunker らは,まさにこのような予想を裏付ける統計解析の結果を発表した [30].それによると,選択的スプライシングによって変化する配列部分は不規則領域を期待値よりも高い割合で含んでいる,いいかえると,選択的スプライシングは不規則領域と「相性が好い」ことを示した.ただし,彼らはドメインを考慮しないので,選択的スプライシングのうち立体構造と抵触するものがどのくらいあるか,といったことは判らない.この点は,前節で述べたドメイン/不規則領域の二分法を適用すれば明らかにできると思われるが,これは今後の課題である.

さらに進化的観点から考察するとどうなるか? 選択的スプライシングと天然変性タンパク質はともに真核生物に特有の現象であり,たがいに相性が好い関係にあるとしても,それぞれの進化的由来に関連性があるかどうかは判らない.たがいに強め合う関係にあるなら共進化したという可能性もあるが,そう単純には判断できないだろう.この問題に対する1 つの手がかりは,細胞内局在性にあると考えている.表1 の数値は暫定的なものにすぎないが,天然変性タンパク質が核に多いといった局在性の偏りがあること自体はまちがいない.一方,選択的スプライシングがどのような種類のタンパク質に多い(少ない)か,といった統計データの有無に関しては知らないが,仮に表1 と平行関係にあるような細胞内局在性を示す場合は,両者の共進化を裏づける有力なデータとなるだろう.だがそうではなく,選択的スプライシングはタンパク質の細胞内局在とはまったく無関係に起きている可能性もある.その場合は,両者が独立の現象であることを示唆するが,それでは,なぜ期待値よりも高い頻度で選択的スプライシングが不規則領域で起るのかという疑問が残ることになる.いずれにせよ,解析すべき新たな事象は次々と現れ,その結果はまた新たな疑問を生じて尽きることがないのである.


9. おわりに

 天然変性タンパク質という概念が登場してからすでに10 年近くになるが,まだまだ研究者のあいだでの知名度は低いようだ.長い不規則領域(連続して30残基以上)をもつものは真核生物の全タンパク質の3分の1 以上を占める [10] といわれるのに,である.注目度がもっとあがるためには,何か重要な現象と関係づく必要があるのかもしれない.その1 つは,前節で述べた選択的スプライシングではないかと考える.不規則領域の存在が,選択的スプライシングが起るための(ほぼ)必須条件であるといえるならば,かなりのインパクトをもつだろう.もう1 つの可能性は,天然変性タンパク質は核内に特に多く存在するというデータと関係する. 核タンパク質における不規則領域の割合は、既述のように、転写因子の寄与を差し引いたとしてもまだ顕著に高い.ここから先はまったくの想像になるが,近ごろ話題になっている(mRNA 以外の)機能性RNA と関係してくる可能性である.種々の機能性RNA が転写産物として生じ遺伝子発現の調節などに関与しているなら,それらを補佐するタンパク質が必要ではないかと思われる.さらに,RNA―タンパク質の相互作用は特殊で,RNA との相互作用にとって(リボソーム・タンパク質のように)天然変性状態のタンパク質が特別に都合好いと仮定すれば,天然変性タンパク質が核内に多い理由が判明するだけでなく,機能性RNA とともにその注目度もアップすることになるだろう.以上は想像にすぎないが,私なりの予想でもある.これが的はずれでないかどうか,今後の研究動向が楽しみである.


文 献
1) 西川 建 (2007) 日経サイエンス37, 28-37.
2) Wootton, J. C. and Federhen, S. (1996) Methods Enzymol. 266, 554-571.
3) Wright, P. E. and Dyson, H. J. (1999) J. Mol. Biol. 293, 321-331.
4) 西村善文,中村春木 (2007) 蛋白質 核酸 酵素52, 937-942.
5) Sigler, P. B. (1988) Nature 333, 210-212.
6) Dunker, A. K. et al. (2002) Adv. Protein Chem. 62, 25-49.
7) Tompa, P. (2003) BioEssays 25, 847-855.
8) Brown, C. J. et al. (2002) J. Mol. Evol. 55, 104-110.
9) Fukuchi, S. et al. (2006) J. Mol. Biol. 355, 845-857.
10) Ward, J. J. et al. (2004) J. Mol. Biol. 337, 635-645.
11) Tompa, P. (2005) FEBS Lett. 579, 3346-3354.
12) Oldfield, C. J. et al. (2005) Biochemistry 44, 12454-12470.
13) Dunker, A. K. et al. (2005) FEBS J. 272, 5129-5148.
14) Haynes, C. et al. (2006) PLoS Comp. Biol. 2, e100.
15) Minezaki, Y. et al. (2006) J. Mol. Biol. 359, 1137-1149.
16) Liu, J. et al. (2006) Biochemistry 45, 6873-6888.
17) 西川 建,峯崎善章,福地佐斗志 (2006) 蛋白質 核酸 酵素51, 1827-1835.
18) Minezaki, Y. et al. (2005) DNA Res. 12, 269-280.
19) Tompa, P. and Csermely, P. (2004) FASEB J. 18, 1169-1175.
20) Namba, K. (2001) Genes Cells 6, 1-12.
21) Dyson, H. J. and Wright, P. E. (2005) Nature Rev. Mol. Cell Biol. 6, 197-208.
22) Minezaki, Y. et al. (2007) J. Mol. Biol. 368, 902-913.
23) Andreeva, A. et al. (2008) Nucl. Acids Res. 36, D419-D425.
24) Leipe, D. D. et al. (1999) Nucl. Acids Res. 27, 3389-3401.
25) Orengo, C. A. and Thornton, J. M. (2005) Annu. Rev. Biochem. 74, 867-900.
26) Vogel, C. et al. (2004) J. Mol. Biol. 336, 809-823.
27) Ekman, D. et al. (2005) J. Mol. Biol. 348, 231-243.
28) Kawabata, T. et al. (2002) Nucl. Acids Res. 30, 294-298.
29) Homma, K. et al. (2004) J. Mol. Biol. 343, 1207-1220.
30) Romero, P. R. et al. (2006) Proc. Natl. Acad. Sci. USA 103, 8390-8395.
31) Tong, A. H. et al. (2002) Science 295, 321-324.

 

 

科学の正体

オリジナル原稿は学生時代の文集「新しい科学の会」所収(1970年頃)

 

はじめに

 われわれは現在20世紀の科学技術の時代に生きている。そのため科学は所与のものであり、あたり前であり、どちらかといえば、神話や迷信、魔術、未開社会のアニミズムなどを奇妙だと思う時代にいる。しかし、いうまでもなく人類史の大部分は大なり小なり宗教的世界、呪術的世界観に当然のように馴染んできたのであり、そういう時代に戻るのにはほんの二百年もさかのぼれば十分である。そして、ネアンデルタール人の死者の葬り方にある程度の宗教的観念のあったことが見られるというほど、その起源は古い(今西錦司「人類の誕生」)。そういうことを考えると、人間本来の立場からすれば、むしろ宗教は当然のものであり、科学こそなにか「奇妙で普通でない」ものかもしれない。科学の奇妙さの裏がえしとして、現在ではむしろ逆の感じを持つようになっているのではないだろうか。

 このような問題意識をもつようになったのには、もちろん、何人かの人の本に影響を受けている。たとえば、文字どおりの表題の本で「人間にとって科学とはなにか」(湯川・梅棹、中公新書)などである。この本もそうだが、気がついてみると近年いくつかの方面から、この科学の奇妙さということをめぐって問いかけがなされているようである。と言っても、まだ問題が整理されて提出されているわけではないように思う。そういう状況も頭におきながら、眼にふれたこと、気がついた問題について順次あげてみる。

 

その1

 最初はやはりJ.D. バナールから —「歴史における科学」第一巻一章三におもしろい指摘がなされている。「歴史をみると経験の諸分野が科学の領域の中に入ってくるには一定の順序があることがわかる。大ざっぱにいうと、それは数学、天文学、力学、物理学、化学、生物学、社会学と進む。技術の歴史はこれとほとんど正反対の順序をふんでいる。即ち、社会組織、狩猟、家畜、農業、・・冶金、車両と航海、建築機械、機械、機関である。」つまり、科学の順序はいわゆる自然の階層論にしたがっているわけだが、技術の方はむしろ逆向きに進んだというのである。こういう話を見て少し意外な気がしないだろうか。

 われわれは日常、「科学技術」という科学と技術を一緒にした言い方にあまりにも慣れてしまっている。したがってまた、科学と技術は不可分のものであり、始めから両者は相伴って発展してきたのだろう、と何となく思っている。しかし事実は、バナールの言うように、両者の発展過程は相反していると言ってもいいくらい違ったものであるらしい。こういう所にも、科学の奇妙さが顔をのぞかしているのではないだろうか。

 バナールもその後で言っているが、技術の進み方は思えば当然の順序を踏んでいる。人間自らの生活の必要に応じて開発されたまでであり、その対象が複雑であろうがなかろうが関与せざるをえなかったまでである。今からみるとかえって単純だと思われるメカニカルな技術が登場するのが意外に遅いと感じるのも、われわれが現代という見やすい立場にいるからにちがいない。(古代社会では奴隷という、あまりにも有能な「機械」を生み出したため、それ以外の機械は必要でなかったと言う人(L.マンフォード)もいる。)こういう技術の進み方は、種々の古代社会に共通して同種の技術が見出されることなどからも多分に一般性があるといえるだろう。そのため、むしろ技術(宗教も含めて)はそれ自体、あれこれの社会(文明)の水準をはかる指標となるし、実際そうされている。

 ところで、科学がこうした技術の当然の歩みとは正反対の — とは文字どおり言わないまでも、まったく別個の進み方をしたというなら、そのことは何を意味するのだろうか。このことは、もっと言えば、科学は文明の高低に必ずしも伴なわないこと、つまりどんな社会でも一定の水準に達すると科学を生み出すといったものではなく、もっと特殊な状況とむすびついてはじめて存在しうることを意味するのではないか(同様の表現は E. ツィルゼル「科学と社会」p.3 にもある)。科学が技術や宗教と同じような面をもつにしても(比較されるのは多少とも類似性があるため)、科学がそれらと一番ちがうのは、こういう文明の中で考えたときの位置である。

 

その2

 ここで関連してくるのが、最近いろんな所で言われるようになった問題 — なぜギリシャで科学が生まれ、古代中国では生まれなかったのか — である。「科学は必ずしも文明に伴わない」と言ったのも、一つにはこのような「根拠」を踏まえてのことである。中国のように何千年にもわたって高文明を維持し、磁石の使用、火薬、印刷術の三大発明を含む高度の技術を生んだ文明国で科学についに生まれなかった(薮内清「中国の科学文明」岩波新書)ということは、むしろ科学自体の妙な性格に原因があるとしか思えない。最近出た「科学史のすすめ」(広重徹、筑摩)にもこの問題がとりあげられていて、中国の思惟様式についての興味ぶかい分析もなされている。

 その中でも言われているが、この中国とギリシャの科学を問題にするときには、何をさして科学というか、ということがつきまとってくる。とくに英語でサイエンスという場合、むしろ日本語の学問という意味に近くなるため混乱したりする(そのためか外国で書かれた科学史などでは、なんでもかんでも科学に含めるきらいがある)が、ここでは日本語でいう近代科学を典型とする意味での科学を考えておけばよかろう。科学を拡大解釈し、その起源をずるずると過去へもっていっても結局はわけが分からなくなるだけだと思う。科学はやはりギリシャ以上にさかのぼりえないし、ギリシャ以外の文明圏には出現しなかったと言うべきである。むしろそう言い切ることによって問題の所在がはっきりしてくると思う。

 とすれば科学が奇妙なら、その一部はギリシャの奇妙さに還元されるのではないだろうか。とくにエジプト以来の諸文明のなかにギリシャを置いたとき、その特殊な位置、例外的な性格が浮かび上がってくる。たとえば、ポリスの民主政治、なかでも何かといえばすぐに指導者を追放してしまうオストラキスモスに見られるような驚くべき明快さは、現代社会を含めてもちょっと類がないだろう。そういう明快さの故に、大国ペルシャをも打ち破ることが出来たにちがいない。芸術その他ギリシャ独特のものは多数あると思うが、科学と関連して一番変っているは、なんといっても、ものの考え方である。

 当時の一般的傾向からして、東洋の孔子や釈迦に代表されるように、まともな人間ならまず世の中や人生の「意味」について考えるのが普通だと思う。自然を対象に考えるとしても、たとえば天体の運行が自分たちの運命を左右しているという「意味」を認めるからこそ、観測しようという気になるのがその当時の発想だったはずである。ところが、ターレスに始まるギリシャでは、「意味もなく」万物の元素などについて — 大の男がである — 論じている。それも一人や二人なら例外として片づけられるが、そういった「意味のない」議論を許し受け入れ、あまつさえ助長するような社会的背景があったらしいのである。ある本に次のような話が出ている(世界の歴史4、河出)。

 ポリスのギリシャ市民の男たちは、毎朝買い物かごをさげて、ポリスの中央にあるアゴラという広場に出かけて行くのが日課であった。アゴラには市がたっており、ぶらぶら買い物をしながら、あるいはそこらにいる誰かをつかまえては議論をふっかけ、それにあきれば体操場に行ってスポーツに興じ、日暮れとともに家に帰って妻に買い物かごを渡す — それがむしろ標準的な市民の生活であったというのである。

 これを読んだとき、ぼくは初めてギリシャ科学の発生の様子が納得できるように思えた。議論することが全市民の生活の一部であったような社会 — そこでは議論のための議論が横行しただろうし、相手をやりこめるために論理の腕をみがくものが出ただろう。なかでもとくに専門化したのが後にソフィストと呼ばれたような連中であったにちがいない。そういう背景がないかぎり、論理だけを極端にまで押し進めてはじめて到達できる「原子論」や「ツェノンの逆理」のようなものが現れるはずがない。そして、同じ基盤の延長上に、ピタゴラスにはじまりユークリッドで完結する科学の原型(近代科学の成立にとって、アレストテレスまたはアルキメデスなどの系譜よりもユークリッドの方が決定的だったと思う)がつくられたのである。ただし、こうした「不毛」の議論に背を向けた人々も当然いたであろう。たとえば、自然哲学を嫌ったといわれるソクラテスがそうである。しかし、この世の「意味」を説こうとしたソクラテスなどのまともな立場は、どうみてもギリシャでは少数派だったようだ。彼が最後に毒をあおって自決したのもそのような状況と無関係でないと思う。

 このソクラテスの立場と自然哲学者らの立場の関係は、よくひきあいに出される中国の諸子百家らの間ではむしろ逆であったと思われる。後者でも「白馬は馬にあらず」という類いの「無用の議論」を展開した流派が現れている。しかしギリシャとは反対に、中国ではそれらの流派は多数派にはなりえず中途半端なままで消えてゆき、孔子老荘の立場が勢力を得てしまう。ここが1つの歴史の分かれ目であったに違いない。がしかし、何度もいうように、古代社会の当時の状況からすれば、中国の進み方の方があくまでも正統であり、ギリシャのように「無意味」が生き永らえ、ついには体系化されるにまで至ったということは驚くべき例外でなければならない。(「無意味」を少し強調しすぎたので断わっておくが、自然哲学を論理的に進めさせた原動力の1つとして、ピタゴラス派による音階における「数の調和」の発見、ピタゴラスの定理の発見など、具体的な数の論理による成果のあったことがその後に大きな影響を与えたと思われる。中国では、陰陽説のような漠然とした数の論理しかなく、具体的な成功が見られなかったのと、この点でも対照的である。)

 実生活に縁のないような自然哲学的思惟は、特にその初期には、何の拠りどころもない脆いものであったはずである。だから、たとえば当時存在したユダヤ教ゾロアスター教のような強力な思惟体系がもう少し早く西に進み、地中海を覆ってしまうような状況が起こっていたなら、それを跳ね返してまで自然哲学流の考えが持続できたとは、とても考えられないのである。そして事実ローマ時代以降、ヨーロッパ中世にかけて、すでにギリシャ科学はつくり上げられていたにもかかわらず、キリスト教に押されて無視され、忘れられてしまうのである。

 科学がキリスト教のような高等宗教をも打ち破る力を持つようになるのは近代科学以降のことでしかない。16世紀以降、実験的方法が導入され、したがって「真理性」という確かな拠り所を得て、科学は自立し、確立されるのである。結論をちょっとキザに言えば — 科学の誕生は決して安産ではなかったのであり、科学は奇妙なギリシャ文明の中であやうく生まれた鬼子である、と。

 ここではギリシャの「奇妙な」面だけを強調したが、もちろん、ギリシャにも奴隷制ディオニソス信仰のような、古代的な裏面があったことも承知しているつもりである。むしろ必要以上に強調した理由の1つは、これまであまりにもギリシャが文明の理想として、また典型として扱われ、その特異さ、例外的な文明という面からの捉え方がほとんど見られないことである。その原因の大部分は、世界史はギリシャから始まるとするこれまでの欧米の歴史観にあると思う。ギリシャが前提とされる限り、それが「奇妙」であるはずがないからである。

 

その3

 科学の「奇妙さ」はマルクス主義の文献からも読みとることができる。周知のようにマルクス主義では科学および科学的方法がことのほか重視されている。というより、その基盤である弁証法唯物論は科学につながり、一体化するべきものとして捉えられている。つまり、科学(の立場)を前提としていると言った方がいいのかも知れない。そういうマルクス主義にとって、科学はどう(人間および世界に対して)位置づけられているのだろうか。

 マルクス主義では社会の諸要素を上部構造と下部構造に分類する。では科学はそのどちらに入るのか — 昔から気づかれていたことだが、科学は下部構造にはもちろん、上部構造にも入れられていない。上部構造に入るのは政治、法律、宗教、芸術、哲学、イデオロギーなどであり(たとえば、マルクスドイツ・イデオロギー」参照)、科学は含まれていない。つまり、それらとは基本的に異なる性格をもつ何者か、なのである。それでは科学は上部および下部構造に対してどういう位置に立つというのだろうか、 — 実はそれ以上のことはどこにも見られないのであり、結局マルクス主義では、どちらにも属さないという形でしか科学は「規定」されていない、というほかはない。

 どうしてこんな不思議な状態がそのままになっているのか、疑問に思われる。理由として考えられるのは、マルクス主義の理論が形成された当時、実践的な課題として重要とされたのは、この種の「規定」よりも、観念論と唯物論という対立の中で、観念論に対しての唯物論(それはまた科学の立場)という相対的な形での規定(レーニン唯物論と経験批判論」参照)であったから、ということである。しかし、あくまでもこれは先ほどの「位置づけ」とは別の問題である。それによってもう1つの問題が忘れられてよいということにはならない。とくに科学が常に正義であり「良いもの」だとは感じられなくなった現在では、科学の基本的性格を明らかにする意味で、その「位置づけ」が重要な課題となるはずである。

 あらためて科学の「位置づけ」の問題に戻ることにしたいが、これは大問題である。まともにはとても扱えそうにない。ただ出来そうなことは、アナロジーを捜すという方法を用いてみることだろう。科学のように上部構造にも下部構造にも属さないとされるものがほかに何かないだろうか。そう言われれば想起されるものがある — 言語(ことば)である。スターリンの「マルクス主義と言語の諸問題」のなかで、言語が社会の上部構造にも土台(下部構造)にも属さない、とされているのだ。その理由としてスターリンの述べているところを2、3引用しよう。

「あらゆる土台は、それに照応した上部構造をもっている。・・土台が変化し、なくなると、これにひきつづいて、その上部構造も変化し、なくなり、新しい土台がうまれる。言語は、この点で上部構造とは根本的に違っている。」

「言語は、何かある一階級によってつくられるのではなく、全社会によって、社会の全階級によって、何百の世代もの努力によってつくられたものである。言語は、何かある一階級の要求を満足させるためにつくられたのではなく、社会全体の、社会の全ての階級の要求をみたすためにつくられたものである。」

「言語は、(上部構造とは)反対に、数多くの時代の産物であって、そのあいだかかって、言語は形成され、ゆたかになり、発展し、みがきをかけられてきたのである。だから、言語はどんな土台や上部構造とも比較にならぬくらい長生きする。」

「言語は・・・人間の生産活動と直接に結びついており、また生産活動ばかりでなく、生産から土台までの、土台から上部構造までの、人間のあらゆる活動分野にわたるそのほかのあらゆる人間活動とも結びついている。だから、言語は土台における変化を待たずに、いきなり、直接に、生産上の変化を反映する。だから、人間のあらゆる活動の作用範囲よりもひろく、多面的である。それどころでなく、それはほとんど無際限である。」

 すこし丁寧に引用したのはほかでもなく、科学と言語が予期される以上に、類似した性格をもっていることを示したかったからである。文中の「言語」のところを「科学」と置き換えてもう一度読んでもらいたい。そのままぴたりと意味が通じるのに驚かされるだろう。これは単なる偶然の一致ではない。両者は基本的なところで通じ合う性質をもっているからに相違ない。たとえば「言語の特徴」としてあげられることがらは、ほぼ同時に、科学についてもいえるのである。— 言語は(また科学は)手段であり用具であって、人間の生産活動とともに、人間の1つの例外もないいっさいの活動範囲のうちにあらわれる生産以外のあらゆる活動ともむすびついている — というように。現在の科学が文字通りの意味で、まだそのような状態にないとしても、年とともに益々はっきりしてきたように、その本来の方向へ、個々人の日常生活のレベルにまで影響をおよぼす方向へ、進んでいるのである。

 ところで、このようにいっても、何からなにまで言語と科学が一致すると主張するつもりはもちろんない。違いはいくらでもある。はっきりちがう点はまず、言語なくしては人間自体ありえず、したがって社会も成り立たない(正確な表現はエンゲルス「猿が人間になるについての労働の役割」を参照)のに対し、科学は明らかに、人類史の途中からしか存在していないことである。ちがいは最初から明白である。問題はやはり、それにもかかわらず、科学が言語に似ていることの意味である。

ぼくは、基本的性格として科学は言語と同じものであり、いわば科学は新しい「第二の言語」とでもいうべきものではないか、と考える。科学は、自然言語(ことば)とともに、もっと大きなカテゴリーのなかに一括されるべきものであり、したがって社会に対しても基本的に同じ位置に立つものである。そして、この点にこそ「科学の正体」に迫る糸口があると思われる。

 

その4 — 科学の正体 —

 言語は人間社会を成り立たせる契機であるという。ではその類似の性格からして、科学も次元のちがう同じ契機であるといえないか。それまで言葉が占めていた人間社会の位置に科学がとって代わり、それゆえ人間社会のあり方が全体的に変容しだしたのだ、といえないだろうか。近代科学成立後の世界を考えてみよう。

 科学が技術を媒介しながら、社会の土台に浸透しだすのは、産業革命を境にした資本主義社会においてである。そのとき、それ以前にはちょっと想像できない現象が起きている。すなわち、アヘン戦争を発端とするヨーロッパ各国(後には日本も加わって)による中国の植民地化のことである。これはそれまでの、たとえばスペインやポルトガルが南米やアフリカを植民地にしたのとは、言葉は同じでも、意味はまったくちがうと思う。18世紀までは「中国にあってヨーロッパにないものがあっても、ヨーロッパにあって中国にないものはない」といわれた — 誇張はあるにせよ、それがほぼ実情であったとされている(フランス・ルイ14世の中国かぶれの話、あるいは、加藤秀俊比較文化への視角」中公を参照) — ほどの国である。それが19世紀に入ると、急にヨーロッパ諸国に水をあけられてしまうのである。それはもちろん、ヨーロッパの資本主義化、近代化と呼ばれる一連の変革で十分説明されるだろう。しかし、両社会のもっとも深部におけるちがいは、ヨーロッパに科学があって、中国にはついになかったという点にあると思う。言い換えれば、中国はあくまでも自然言語に立脚した社会であったし、同種の社会(文明)の中ではもっとも高度の水準にまで達していたといえるだろう。 

 一方、第2の言語である科学に立脚して登場した西北ヨーロッパの社会は、自然言語では達しえないステージに進んでしまったと見るのである。その様子は、ある段階から次の段階へと進む社会発展史のなかのひとコマというよりは、むしろ、猿から人間へとすすんだ生物進化の延長上に起ったとでもいうべき、人類の文明史における「進化」ではなかったのか — と思われるのである。・・・まだ霧の中に霞んでよく見えないが、「科学の正体」はこのあたりにありそうだ。 完